――周到な調査、徹底した考察で「内なる闇」に迫る評伝――小林美恵子 / 沼津工業高等専門学校教養科教授・近・現代日本文学週刊読書人2021年9月10日号蓬州宮嶋資夫の軌跡 アナーキスト、流行作家、そして禅僧著 者:黒古一夫出版社:佼成出版社ISBN13:978-4-333-02848-1 宮嶋資夫の名は始終目にはするものの、詳細について知ることはなかった。が、「アナーキスト、流行作家、そして禅僧」という副題からは、労働文学作家・宮嶋に、豪胆なばかりではない懊悩の人生があったことを瞬時に予感させられる。宮嶋資夫とはどのような人物であったのか。 冒頭は、宮嶋の出世作『坑夫』(大正五年)について、これが「個人的な反逆の中で自己を破滅させていく経過をちからづよく描き出した」(小田切秀雄)ものであり、それこそが大杉栄の理想とした「憎悪美」「叛逆美」を体現しており、ゆえに「風俗壊乱」のかどで発禁処分を受けたという顚末から書き出される。ではいきなりそのような問題作を描き得た宮嶋の、作家としての土台はどのように作られたのか。ここから、周到な調査を経た評伝が丁寧に綴られていく。 幸福とは言い難い幼年時代を経て様々な職を転々とした少年が、小説を読む楽しみを覚え、自分で書きたいと思い始める過程はごく自然なものであろう。幸田露伴に弟子入りを断られたというエピソードには、「方法的には「体験」を重視しその体験をリアルに描く「自然主義」の伝統を色濃く持っていた」宮嶋の文学的特徴に、苦労人・露伴が与えた影響を思わされる。 宮嶋の職業作家としての生活は大正五年からの約一五年間となる。昭和初期の『新潮』や『東京日日新聞』の中に、芥川龍之介や泉鏡花らと並んだ宮嶋の名を見ると、思った以上に宮嶋が大正文学の中で大きな位置を占めていたことに驚かされる。生みだされた作品群は、(1)『坑夫』系列作品(2)相場師体験作品(3)自伝的作品(4)「無政府主義・労働運動」体験に基づく作品(5)その他に分類される。(1)の中で、「どうしても「実行=革命運動」に加わることが出来ず、あくまでも「傍観者」でしかない自分自身の在り様に、「作家」の宮嶋は相当「苛立って」いたのではないか」という分析がなされているが、これは宮嶋という作家の人生すべてを覆う問題として把握されていき、そのことはおそらく的を射ていたと思われる。 等閑に付されていた宮嶋の童話作家としての活動が掘り起こされたことにも大きな意味があるが、童話を書くことは彼の楽しみであり、そのことで労働文学者としての苛立ちや懊悩とのバランスを取っていたという指摘は興味深い。宮嶋にとって「「書くこと」は「救い」に通じる唯一の道」であり、「そうであったが故に、「運動」にも「生活」にも、そして「書くこと=創作」にも行き詰った末に、京都嵯峨野の天龍寺=禅寺に駆け込むことになった」のだという宮嶋理解には、強い説得力を感じ、深く共感することが出来た。 そんな夫を「生まれながらの受難者」と呼び、黙って仏門に見送った妻麗子もまた宮嶋という人間を作り上げた一人というべきであろう。彼女についてもまた本書に多くを教えられたが、二人の関係を著者がどう描き出すのか、独立した一章で読んでみたいという願望も尽きない。 読後には、確実に「宮嶋資夫」という一人の人物がくっきりとした輪郭をもって姿を現し、会ったこともないこの作家と深い交流を持ったような満足感に充たされる。それは、著者が不明点を放置することなく、徹底した考察を加えることで宮嶋の「内なる闇」に近づこうという姿勢を貫いているからではないか。 本書は宮嶋資夫研究の根幹をなす専門書であるだけでなく、初期プロレタリア文学を含む大正期文学の難解な部分を解きほぐして教えてくれる教科書ともいえ、また一般読者が手にとっても芳醇な世界を楽しむことが出来る間口の広さを感じることができ、心地よい余韻に浸ることが出来た。(こばやし・みえこ=沼津工業高等専門学校教養科教授・近・現代日本文学)★くろこ・かずお=文芸評論家・筑波大学名誉教授。著書に『林京子論』『村上春樹』『祝祭と修羅 全共闘文学論』『大江健三郎論』『原爆文学論』『井伏鱒二と戦争』『原爆文学史・論』など。一九四五年生。