――政治と芸能が絡み合い、構築されたリアリティ――山本達也 / 静岡大学人文社会科学部准教授・文化人類学週刊読書人2020年5月8日号(3338号)近現代南インドのバラモンと賛歌著 者:小尾淳出版社:青弓社ISBN13:978-4-7872-7428-1インドを訪れると、寺院や観光地での催し、路上などで、ハルモニウム(アコーディオンのような鍵盤楽器)の音色と太鼓のリズムに合わせて、人々がヒンドゥーの神々への賛歌をコールアンドレスポンス様式で歌っている場面や、それらの賛歌のCDがスピーカーから大音量で流されている場面に各地で出会う。また、日本でも近年公開された映画『ガンジスに還る』でも、「解脱の家」での人々の営みとして賛歌を歌うシーンが取りあげられていることから、ヒンドゥーの賛歌がどんなものか見聞きしたことのある読者もいることだろう。このような賛歌について、宗教的詩人や楽聖によって創作された詩や音楽であり、「ヒンドゥー文化を支える音楽的資料の集合体」であると著者は定義している。本書は、神々を讃える賛歌の様式や価値が、南インドにおいて地域間交流や歴史的状況の中でどのような変遷を経てきたのかを描き出す一冊である。 「多様性の中の統一」。インドを表す際によく用いられる表現である。この多様性は、本書のテーマである賛歌においても例外ではない。賛歌を人々が育み、実践してきた文脈やスタイルは一様ではない。また、賛歌に対する意味づけの地域間の相違や歴史的環境の相違も多種多様である。著者は、このような事実を踏まえたうえで、神に対する献身的な愛と絶対的な帰依であるバクティ運動の興隆期から、インドにとって大きな歴史的意味を持つイギリス植民地統治期とインド独立という近代国民国家インドの成立期、人々の生活を支える文化的社会的文脈を目まぐるしく再編しているグローバル化の時代までという長期的スパンを本書が賛歌を論じるための時間軸として設定する。そして、主に南インドのタミル・ナードゥ州のタンジャーヴールと特にバラモン階層の人々が賛歌に関わる様相を描き出すことで、賛歌の価値づけが変遷していくプロセスを著者は丹念に追っていく。 ところで、数々の思想家や芸能研究者が明らかにしてきたように、芸能は民族や国民の特殊性を他者に対して可視化し、また五感を通じて聴衆に演者が情動的に働きかけ、(直接間接問わず)その場に居合わせる人々の間に結びつきを創出しようとするがゆえに、国民意識を高めるためのプロパガンダに用いられ、近年ではネーションやマイノリティといった集団にとってアイデンティティ構築の重要な媒体となってきた。本書においても、芸能と政治との関係が構築されていく過程を追うため、バクティ、芸術、「文化資源」という三つの参照軸を著者は援用する。この参照軸に依拠しながら、賛歌自体のもつ意味の変遷の様相、賛歌のレパートリーやスタイル上の変遷とそれに対する人々の働きかけの内実を析出している。特に、バラモンの優位性に対する対抗運動「非バラモン運動」が盛んであった二〇世紀初頭以降の南インドの分析においては、歴史的史料のみならず著者自身がフィールドワークを通じて収集したデータに基づいて、政治的権力の凋落に直面するバラモン階層の人々が、自分たちの権威の源泉としての「伝統」である賛歌をめぐって試行錯誤してきたさまが明らかにされている。 賛歌をめぐる詳細な記述とそれを生んだ社会的政治的背景にも目配りをしている本書は、インド研究を志す人々のみならず、南アジアをはじめとした地域の研究や芸能といった領域に関心のある人々など、幅広い読者にとって知的刺激を得られる一冊となっている。特に、長期的なスパンの中で日常レベルの政治と芸能がいかに絡み合い、人々のリアリティを構築していくかに関心のある人々にとっては必読の書であると言えるだろう。(やまもと・たつや=静岡大学人文社会科学部准教授・文化人類学) ★おび・じゅん=大東文化大学国際関係学部助教・アジア地域研究(南アジア)・宗教・文化。一九七三年生。