作品を発表順に論じつつ、医学的にも分析する 白石純太郎 / 文芸評論家 週刊読書人2022年4月8日号 ヘルマン・ヘッセの精神史 創作と癒やし 著 者:細川清 出版社:吉備人出版 ISBN13:978-4-86069-672-6 「ヘッセの生涯を振り返ると、激しい生きざまと、それを克服する勇気に驚かされます」と私に語ったのは、ヘッセの生まれ故郷・カルフにあるヘルマン・ヘッセ博物館の学芸員の方だった。一八七七年に生まれ九六年、八五歳で波乱の生を終えるまでヘッセはあらゆる病に苦しんだ。定期的に襲ってくる神経不安、リウマチ、不眠、自殺未遂……。と同時に第一次、第二次世界大戦も彼は経験することになる。 まさに彼は生を通じて「病み」続けたが、常にそれを克服していった。本書はヘッセがいかに病と対峙したか、そして病苦とどのように付き合っていったかが記されている。この本で特筆すべきことは、著者が精神・神経医学を専攻した精神科医であるという点だ。ヘッセの残したテクストを文学として読むことと同時に、ヘッセの病理についても専門家として医学的な知見から分析していく点において、新鮮なものがある。 一三歳にして「自分は詩人になるか、さもなくば、なににもなりたくない」と言ったヘッセの言葉は有名なものであるが、彼はなぜ詩や文学を志したのだろうか。そして、そもそも人はなぜ文学を試みるのであろうか。止むに止まれぬ創作欲求というべき内的欲求の根源には、自我同一性の確立というものがあるのだろう。ヘッセは常に「世界との違和感」を感じていたアウトサイダーであった。自分が本来の自分ではないような感覚を常に持って生きていた。そのように社会から疎外されているものは、社会との折り合いをつけようと願う。そして、自己の世界を言葉によって創作し社会との軋轢を癒してゆく。多大な感受性を持って生まれたヘッセは、表現によって自己を救って行ったのだ。 しかし創作が行き詰まった時、「生死を賭けた創作行為」という自己治癒は成功しなくなる。そこでヘッセはユングの弟子であるラング博士から、うつ病に対する精神分析を受けることになる。本書において「精神分析の夢日記」としてまとまっている一連の夢分析は、そのすぐ後に発表することになる黙示録的な作品、『デミアン』にも生かされる。と同時に分析の中でヘッセは西洋世界を「まともな人間として生きるにはノイローゼになるほかはない」世界と位置づけ、東洋文明にも傾倒するようになる。その体験が『シッダールタ』に結実する。 本書は精神の軌跡であるところの「精神史」について扱っている。ヘッセの苦難の生を『車輪の下』に始まり、『デミアン』、『シッダールタ』、『荒野の狼』、最後の作品『ガラス玉遊戯』(有名ロックバンド、クイーンのギタリストであるブライアン・メイの愛読書でもある)と作品の発表順に論じることで、一般的に思われているヘッセの「文学少女趣味」的イメージを覆し「危機の詩人」としてヘッセを評価することに成功している。 ヘッセは『ガラス玉遊戯』以降の時間を多くの読者から寄せられるファンレターの返信に割いた。多難な生を生き抜いた一人の文学者は、読者一人一人と向き合うことに重点を置いたのだった。傷つき病んだ心に、ヘッセは常に寄り添った。筆者自身も一五歳の時、初めて『デミアン』を読んだ時、「なぜこの人は私の心の痛みを知っているのだろう」と驚き、涙したものであった。本書はヘッセ文学に胸を焦がし、それに救われてきた人間にとって、極上の一冊となるであろう。(しらいし・じゅんたろう=文芸評論家)★ほそかわ・きよし=精神科医。一九九一年から一九九七年、香川医科大学付属病院長・副学長を務め退官。著書に『精神医学のエッセンス』『精神科教授の談話室』『米寿、そして』など。一九三一年生。