川延安直 / 福島県立博物館・副館長週刊読書人2020年5月8日号(3338号)未来へ 原爆の図丸木美術館 学芸員作業日誌著 者:岡村幸宣出版社:新宿書房ISBN13:978-4-88008-480-0コロナ禍にあって自粛を要請された今年の春は3・11のあの春と同じ重苦しさの中にある。そんな春をともに過ごすための好著である。 丸木位里・俊の共同制作「原爆の図」を展示するため作者自らが埼玉県東松山市に設立した美術館「原爆の図丸木美術館」は3・11後、間違いなく最も熱い活動が行われているミュージアムだ。本書は同館の精力的な活動を支えているたった一人の学芸員・岡村幸宣氏が綴った二〇一一年から二〇一六年までの3・11後の「日誌」。「日記」ではなく「日誌」とされているように、本書の主題は著者の活動と心の動きであるとともに「原爆の図丸木美術館」の日常と成長である。著者と同館のなれそめを記す美しいプロローグに続き、「足もとが、大きく揺れた」から本章が始まる。著者はその揺れを忘れることなく二〇二〇年の今も身体に刻んでいるのだろう。 本書にしばしば記される展覧会開催を巡る高揚感と困難、資料調査の旅と新資料発見の喜びは同じミュージアムの世界に関わる者なら誰もが経験する。私も調査現場に立ち会っているような気分で読み進めた。同じ世界に触れている親近感を持つと同時に著者の行動力には驚きと羨望、そして期待を同時に抱かされる。自らの使命に一途な取り組みが爽快な読後感を残してくれる。 登場人物の多さは本書の特徴。それは同館と著者の活発な活動の反映であるのだが、文中に登場人物の脚注がふんだんに記載されているのに加え、巻末には「日誌に登場する人びと―人名索引」まで備わっている。中には私も近い時期に会っていた人物も登場し本書が自分に一層近いものになる。そうした業界人的楽しみだけではなく、丸木美術館を巡る人びとの豊かな交流は、広くすべてのミュージアムに求められる姿であると一般の方にも伝えてくれるはずだ。 福島県にある公立博物館に勤務する者としての特別な感想もある。3・11後の福島を語ることの当事者ゆえの不自由は今も続く。むしろ深まっているように感じる。原発事故の被害者を多く抱える福島で、果たして原発事故はどれだけ語られているだろうか。語られぬ3・11後の福島を福島から解き放つ場としての丸木美術館はかけがえのない存在なのだ。 本書で目黒区美術館「原爆を視る」展の中止に触れた後で著者は記す。「いっそ、目黒区の判断とは逆に、原発事故を直視する展覧会をやってみようか。企業や行政の資金援助がなく、その分、しがらみもない美術館の特性を生かすのは、今なのかもしれない」と。その通りである。 だが、原爆、原発事故、核災害という途方もない災厄に取り組む困難は言うまでもない。著者は自らを「無医村の医者」に例える。そして、「原爆の図」は、《狭義の「芸術」の枠には収まりきらない。さまざまな回路で、社会とつながる。だから丸木美術館の学芸員は、歴史、文学、科学、平和学など、学ばなければいけない領域が幅広くなる。それは大変ではあるけれど、ひとつの専門分野のみにとらわれなかったことは、自分にとって幸いだったかもしれない。》と記す。私は同じ学芸員として、著者の覚悟と内省に敬意をはらう。同時に、多くのミュージアム関係者が「無医村」の存在に気づかなければならないのだとの反省も。 もちろん本書は「原爆の図」についても多くを教えてくれる。唯一入市被爆が描かれる「原爆の図」第8部「救出」の画面には「胡粉が白い霧のように施されている」。それは、「絵画上の効果だけでなく、目に見えない放射性物質の存在も意識されていただろうか。」という一文にはハッとさせられた。白い胡粉は「原爆の図」から3・11後の現在にまで拡散しているのだ。胡粉が表象しているものは3・11後の世界に被曝の不安を今ももたらし続けている。 穏やかな文体は誰にも親しみやすい。これから学芸員やミュージアムでの仕事を考えている若い方たちの入門編としてもぜひお勧めしたい。志の大切さを教えてくれる一冊である。(かわのべ・やすなお=福島県立博物館・副館長) ★おかむら・ゆきのり=原爆の図丸木美術館学芸員。著書に『非核芸術案内』、共著に『「はだしのゲン」を読む』『3・11を心に刻んで』『山本作兵衛と炭鉱の記録』など。二〇一六年、『《原爆の図》全国巡回』により、平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞。一九七四年生。