――謎解きの語り口、フィクションと現実の思わぬ同時性――越野剛 / 東京大学大学院助教・ロシア文学週刊読書人2020年6月26日号(3345号)最初のテロリスト カラコーゾフ著 者:クラウディア・ヴァーホーヴェン出版社:筑摩書房ISBN13:978-4-480-85819-1大衆へのプロパガンダと結びついた政治的な暴力としてのテロリズムは今日の世界の悩ましい問題のひとつだが、その歴史的な起源のひとつはロシアに求められる。ニヒリズムと呼ばれる急進派の革命運動がテロリズムに転換していくのは、「人民の意志」党が結成される一八七〇年代末とされる(一八八一年には実際に皇帝暗殺に成功する)。本書の主人公カラコーゾフによる一八六六年の皇帝狙撃事件は、革命運動史の中では失敗に終わった時期尚早の試みだったと評価されることが多い。 本書はそんな歴史の端役に光を当て、失敗したとはいえ最初のテロリズム行為が人々の認識に与えたインパクトを丹念に解き明かす。まったく新しく出現した概念はすぐに理解できるものではないし、理解できないものはストレートな記録や痕跡を残すとは限らない。世界は明らかに刷新されているのに、あたかも何も起きなかったかのように亀裂や断絶は見えなくされ、見慣れないものは見知ったものに置き換えられてしまう。 カラコーゾフと共謀者とみなされた人々の審理の記録は、「地獄」という名前の秘密結社や国際的な陰謀のネットワークといった事件の「背景」が、尋問する側とされる側とのかみ合わない言葉のキャッチボールから創り出される過程を明らかにする。その真偽は定かではないが、不可解さの衝撃をいくらかでも受け入れやすくするために必要とされたのである。チェルヌイシェフスキーの小説『何をなすべきか』(一八六三年)の主人公ラフメートフが、カラコーゾフ事件が起きてから後付けでテロリストの模範像として再解釈されたというのも、やはり新しい現象を説明するために呼び出されたと考えられる。カラコーゾフ本人も新しい政治行為としてのテロリズムについて迷いや戸惑いがあり、結果として彼の身体の表象には多義性が生じている。同時代のニヒリストの流行や規範からは外れた彼の服装と身振りや、公判の中で犯行の主たる要因だと主張されることになる心身の病気について、それぞれ一章が割かれている。 同時代を生きた作家ドストエフスキーへの言及も本書の議論を重層的にしている。『罪と罰』のラスコーリニコフは「新しい言葉」を発することに妄想めいた執念を抱く。それは作家が「空気中に漂っている」と評した思想の萌芽を小説という言葉に落とし込む作業と並行している。ラスコーリニコフの犯罪哲学とカラコーゾフのテロリズムは同じ時代の空気から生まれたのだ。まさに『罪と罰』の雑誌連載中に事件が起きたことで作家はそうとう衝撃を受けたようだ。本書ではカラコーゾフ事件とその報道が小説に与えた影響についても興味深い推測がなされているが、それ以上にフィクションと現実の思わぬ同時性(シンクロニシティ)に興奮させられる。 本書の語り口は推理小説の謎解きのようにスリリングだが、史上初のテロリズム事件について何か新しい史実が明かされるわけではない。むしろ「史実」がどのようにして作り出されるかというプロセスに醍醐味がある。あえて推理小説にたとえるならば叙述トリックに似た謎解きといえるかもしれない。裁判制度、消費社会、マスメディアなどの近代の制度がテロリズムという現象を可能にしたというのが本書の一応の回答だが、近代世界の周縁ロシアでそれが起きた理由は十分に説明されていないように思われる。マルクスの予測に反して後進国ロシアで社会主義革命が成功したのはなぜかという問題とも接続しているはずだ。近代と前近代が混在する帝政末期のロシアだからこそ、ポストモダンの今日の世界まで時代を突き抜けて見えてくるものがあるということなのかもしれない。(こしの・ごう=東京大学大学院助教・ロシア文学) ★クラウディア・ヴァーホーヴェン=米コーネル大学歴史学准教授・近代ロシア史・近代ヨーロッパ史。