――800頁を越える大著で、戦乱の時代を生きたマリの生涯を巡る――藤林道夫 / フランス文学週刊読書人2021年3月26日号マリ・ド・メディシス 母と息子の骨肉の争い著 者:ミシェル・カルモナ出版社:国書刊行会ISBN13:978-4-336-06605-3 ルネサンスの華フィレンツェのメディチ家から嫁入りしたフランス王妃といえば、まずカトリーヌ・ド・メディシスだろう。宗教戦争只中に起こった聖バルテルミーの大虐殺、その黒幕とも目される人物である。本書の主人公マリは、カトリーヌの娘マルグリットと夫アンリ4世の間に子供ができなかったため、彼の2番目の妻になった女性である。最初の結婚を無効にして彼女と一緒になるに際しては、愛妾の存在などもあり、その経緯がなかなか面白い。アンリ4世とマリの結婚は1600年。カトリーヌは1589年1月に没しているので、遠縁のふたりは顔を合わせていないことになる。 カトリーヌが亡くなった7ヶ月後、息子のアンリ3世が過激な旧教徒に暗殺される。この年は、新教徒アンリ・ド・ナヴァールがアンリ4世として即位した年でもあるのだ。周知のように、その後アンリ4世はカトリックに改宗し、1598年、有名な「ナントの勅令」を発してフランスの宗教戦争を終結に導いたとされる。しかし、ことはそれほど簡単ではない、というのが本書である。 ときは戦乱の時代。とにかく戦争にはお金がかかる。トスカナ公国の娘とフランス国王では明らかに格が違うが、それでも縁談が成立したのは、彼女の持参金でメディチ家からの借金がかなり棒引きになったためらしい。驚くほどお金の話が頻出する。まずマリ・ド・メディシスこそ大変な浪費家であり、あのマリー・アントワネットなど比べ物にならないほどの宝石狂いなのである。 めでたくすぐに男の子が生まれた。後のルイ13世である。この王太子の洗礼式で彼女が身につけていたのは、3万2千個の真珠と2千個のダイアモンドを縫い付けたドレス。あまりの重みに動きがとれず、光り輝く塔のごとくであったという。ただ、当時宝石は、いざという場合に最小限の容積ですばやく莫大な額を運ぶ手段としても珍重されていたらしい。いずれにしろ彼女は常に宝石箱とともにあるのだ。 アンリ4世といえば「女たらし」。たしかに女性のこととなると人格が変わってしまう面もあったようだ。しかし、国を治めるためには自ら改宗も辞さない柔軟さ、民衆と触れ合う庶民性ももっていた。それが仇になったのかもしれない。1610年、無防備な道中で、彼の改宗を是としない旧教徒の熱血漢にこれまた暗殺されてしまう。このときルイ13世は9歳。マリ・ド・メディシスが摂政となる。彼女はもともと旧教派。親教皇庁、親スペインである。彼女の振る舞いは折に触れて新教派を刺激する。王権の伸長によって大貴族たちの不満も増していた。新たな混乱の中、1614年、ルイ13世は成人し、三部会が開かれる。この議会で頭角を現し、後に宰相として辣腕を振るうことになるのがリシュリューである。 譲らない母后マリ、自己主張を強めるルイ13世、したたかなリシュリュー。副題「母と息子の骨肉の争い」が展開する後半の主要人物はこの3人である。あくまでもスペインとのつながりにこだわるマリは、神聖ローマとスペインというフランスを挟み撃ちにするハプスブルク帝国の脅威を排除したいルイ13世、これに与して枢機卿という身分でありながら新教徒と手を結ぶことも辞さないリシュリューとの政争に敗れ、フランスを後にする。 それ以前、マリの全盛期に描かれたのが、ルーヴル美術館に残るルーベンスの連作壁画「マリ・ド・メディシスの生涯」である。もともとマリの建てたリュクサンブール宮、現在の上院(元老院)の壁を飾っていたものだ。製作中のルーベンスは驚異である。画架に向かって仕事をしながら、タキトゥスの朗読を聴き、手紙を口述させる一方で、訪問客と話をしていたという。まるで聖徳太子か? マリとルーベンスには不思議な縁がある。亡命後、ベルギーの彼を訪ねるだけではない。彷徨の果てに辿りついた終焉の地ドイツのケルンはルーベンスの育った町であり、彼の提供した家に滞在もしている。フランスに戻ることを許されず、フィレンツェへ帰ることもなく、借金にまみれた晩年のマリ。オーデコロン(ケルン水)よりも派手に匂いたつパルファン(香水)をふんだんにふりかけていそうな女性の、哀しくも見事な物語である。1642年7月没。後を追うように12月にリシュリュー、翌年5月にはルイ13世もこの世を去る。フランスは、マザランとルイ14世の時代を迎えるのだ。 優に800ページを超える大著である。一応伝記として時系列に構成されてはいるが、途中、先まわりして登場する出来事も多い。大雑把な歴史の流れを頭に入れたうえで取りかかることをお勧めする。登場人物略歴、人名索引も付されているが、とても足りない。覚悟を決め、固有名詞に気を配りながら読み進めば、読了時の達成感は間違いないだろう。訳業に敬意を表したい。(辻谷泰志訳)(ふじばやし・みちお=フランス文学)★ミシェル・カルモナ=エジプトのカイロ生まれ。のちにフランスに帰化。高等師範学校出身の歴史家・地理学者。リシュリュー研究の第一人者。ソルボンヌ大学で国土整備学、都市計画学の講座を受けもつ。本書でアカデミー・フランセーズのウジェーヌ=ピカール賞を受賞。著書に『オスマン』『ルーヴルとチュイルリー』『パリ 首都の歴史』『ポール=ロワイヤル』など。一九四〇年生。