時を超えたソクラテス裁判の再審理 森一郎 / 東北大学教授・哲学・倫理学 週刊読書人2022年4月15日号 ソクラテスと若者たち 彼らは堕落させられたか? 著 者:三嶋輝夫 出版社:春秋社 ISBN13:978-4-393-32233-8 ソクラテスは謎の人物である。プラトンの師として西洋哲学の祖に祀り上げられてきた一方で、ギリシア文化の破壊者という令名を轟かせてきた。プラトンの対話篇でも、徳の追求を市民に説く啓蒙の実践者という表向きとは別に、徳の追求可能性を吟味するあまりその不可能性を露呈させてしまうニヒリスト的暗部を覗かせている。 本書は、この西洋哲学史上の闇に挑んでいる。著者三嶋は、プラトン対話篇の数々の翻訳でも知られるソクラテス研究の第一人者である。とくに本書と関係の深い訳業は、『アルキビアデス クレイトポン』(講談社学術文庫、二〇一七年)で、そのコメンタリーという性格を併せ持つ。とはいえ専門研究書というよりは、一般読者向きの柔らかい語り口である。名著『汝自身を知れ 古代ギリシアの知恵と人間理解』(NHKライブラリー、二〇〇五年)と似た味わいで読みやすい。 ソクラテスには、アテナイの前途有為の青年を誘惑する「若者たらし」的な一面があった。教師たるもの、その位の妖しい魅力を具えていなくては、と言えなくもないが、ソクラテスの場合それが、死刑となった罪状の一つにされたのだから穏やかではない。 本書では、ソクラテスの影響を受けたと目される若者たちが取り上げられ、どこまで彼らに悪影響を及ぼしたと言えるか、の査定が行なわれる。ソクラテス裁判の二千四百有余年後の再審理といった趣である。 まずは、対話篇『クレイトポン』のタイトル同名の登場人物から。本対話篇はプラトンの真作かどうか疑わしいが、三嶋によれば、偽作だからといって価値がないどころか、ソクラテスの哲学の弱みを鋭く指摘してみせているという。なにしろ、クレイトポンはソクラテスに、「あなたの徳の勧めは立派だが、どうすれば徳を修めることができるか、何一つ教えてくれない。失望した私は、徳の実践的指南をしてくれるトラシュマコスに弟子入りすることに決めた」と言い、これにソクラテスは応じず、沈黙するのみだからである。 哲学は問いをいたずらに連ねるのみで、答えを少しも示さず、人を惑わせるばかり。混乱に陥れるだけで無責任だ――この種の不評は、現代でもしばしば聞かれる。学生の授業評価アンケートの声にも似た不満が、哲学の原風景でも漏らされていたことが分かる。 次に、古代ギリシア世界屈指の風雲児、アルキビアデス。ソクラテスの悪影響が古来取り沙汰されてきたこの愛弟子を扱う第二章は、本書の中心をなす。アルキビアデスと言えば、トゥキュディデスやプルタルコスの描く煽動政治家のイメージが強烈である。プラトン著作集にも二篇の『アルキビアデス』(第一、第二)が収められているほか、あの傑作『饗宴』にも登場する。アテナイのお騒がせコンビだったこの師弟の間柄をどう考えたらよいか。これは、古代ギリシアの光と闇を考えるうえでカギとなる問いである。 『アルキビアデス』(より重要とされる第一)では、美少年好きのソクラテスがアルキビアデスに近づき、相手の非凡な素質に惚れ込んだがゆえに、その自尊心を打ち砕き、汝自身を知れという自己吟味にいざなおうとする。『饗宴』では、恋をめぐる酒席討論会がソクラテスのエロス道の披瀝で最高潮を迎えるや、酔っ払ったアルキビアデスが突如乱入し、ソクラテスとの恋の顚末を滔々とまくし立てる。 そのアルキビアデスの評によれば、ソクラテスという男は、滑稽な外見とは正反対の崇高さを内面に有しており、その魅力を前にすると自分自身の至らなさに恥ずかしさをおぼえ、世の名声を勝ちとろうという自己の野望を諦めないわけにはいかなくなる。だから、その呪縛から逃げ出したくなるが、どうにも後ろ髪を引かれて……。哲学をとるか、政治をとるか。引き裂かれる思いをアルキビアデスは切々と告白する。 このように『饗宴』でのソクラテスは、エロスの怪物としての底知れなさを備えている。しかも、ここには重大な問題が横たわっている。哲学と政治との緊張関係である。 アルキビアデスとソクラテスの間柄にひそむこの相克をいっそう劇的に展開しているプラトンの対話篇が、『ゴルギアス』である。権力意志の権化カリクレスと、魂の正しさを最優先するソクラテス。友人同士が、雌雄を決する論戦を戦わせる。そこでもソクラテスは、政治家として物議を醸したアルキビアデスとの恋仲を、公然と認めている。 ソクラテスが才覚を見込んで魂の世話を引き受けたその若者が、のちに大衆を煽動して祖国を危機に陥れたとすれば、その悪影響たるや国家的危害である。ソクラテスは本当に、アルキビアデスのような若者を増長させ、害悪をまき散らしたのだろうか。この問いに対し、ソクラテスの擁護者クセノポンは『ソクラテスの思い出』の中で、アルキビアデス(と、やはり悪名高い政治家クリティアス)を非難し、ソクラテスの論駁法をつまみ食いするだけで決して弟子と言えるものではなかった、とした。 ところがプラトンは、ソクラテスとアルキビアデスとの深い仲を否定しなかった。むしろそこに哲学と政治の相克という問題を見出し、終生追求した。もしそれがプラトン哲学ひいては西洋形而上学を生んだのだとしたら、もう一つ巨大な問題がそこにひそんでいることに気づく。ソクラテスはプラトンを育てたことで人類史に悪影響を及ぼしたのではないか。プラトンに言及して終わっている本書の著者に、この点を聞いてみたくなった。(もり・いちろう=東北大学教授・哲学・倫理学)★みしま・てるお=青山学院大学文学部教授を長く務めた。倫理学・ギリシア哲学。著書に『モラル・エッセイズ』『汝自身を知れ』『和辻哲郎』など。一九四九年生。