――極限の写真に込める「いのちのバトンタッチ」――岩尾光代 / ジャーナリスト週刊読書人2020年7月17日号(3348号)生老病死 そして生 限りがあるから みんなでつなぐ著 者:國森康弘出版社:農山漁村文化協会ISBN13:978-4-540-19153-4言葉の選び方が、うまい。極限の状態にある生死の姿をカメラに収めて表現しているが、収録された写真の行き着くところに「生老病死」があることを、思い出させてくれる。 釈迦は、人間の苦しみを「生老病死」の四つだとして、これを受け入れるところから、苦しみを乗り越えることを教えた。本書に収録された、どの一枚も、「四苦」が活きる原動力になっているかのように、それぞれの人が輝いて見えるのは、釈迦の教えを具現しているからなのかと思ってしまう。 表紙の写真に代表されるように、老齢者から幼児への「いのちのバトンタッチ」が込められている。 「これまでの人生において出会った人々の写真のすべてを見返し」て、もがき選んだ、とある。写真に付けられたキャプションとともに見て読んで、その風体がずっしりとした手ごたえをもって伝わる。 ページをめくっていけばヤワな気持ちは吹き飛ぶほどの「衝撃写真」が並び、あるいは静かな臨終の、逝く人の涙に出会う。 「亡くなったナミさんの目から少し涙がこぼれていた…死と別れの辛さ悲しさ/寂しさに加え 生き切った充足感/生き抜いてきた生命力 感謝の念/そしていのちのほとばしりのようなものがあたたかく満ちていた」 そんな文章を読むと、やっと自宅に帰って亡くなった彼女の涙を指でぬぐって合掌したくなる。 インドのガンジス川のほとりに、顔がつぶれている、というか膨らんでいる部分に押しつぶされそうな男がいる。著者は、直立の彼を正面から見据えてシャッターを押した。そして、お金を渡すと、うなずいたという。感謝だったのか、承諾したという印なのかはわからないが、この一枚には、互いの理解が流れている。そのことを知るのは、キャプションがあればこそなのだ。 戦場の「死」を語る証言者の肖像もある。震災写真もある。すべてが、極限の写真だけれど、生きることはすべて極限なのだ。日常という、繰り返しに見える時間のなかでも、それはギリギリの闘いなのだ。 平等と差別。「さべつ」ではなく「しゃべつ」と読む。すべての生命は仏から分けてもらった等しいものだが、すべてに異なる差別、多様性がある。本書には、その両者が在る。生老病死の果てにあるのは、再生だとの無言のメッセージがある。 死を、著者は「あたたかい死」と「冷たい死」ととらえる。あたたかい死を望んで死に向き合うとき、人は掌の温もりも求めて、逝く。(いわお・みつよ=ジャーナリスト) ★くにもり・やすひろ=写真家、ジャーナリスト。イラク戦争を機に新聞社から独立し紛争地等や、国内では戦争体験者や野宿労働者等、近年は看取りや共生の地域づくりを取材。著書に『いのちつぐ「みとりびと」1』(けんぶち絵本の里大賞)『ご飯が食べられなくなったらどうしますか』(生協総研賞)など。一九七四年生。