独自の表現を追い求める舞踏家たちの生の声、活動 志賀信夫/批評家週刊読書人2022年3月25日号 Butoh入門 肉体を翻訳する著 者:大野ロベルト/相原朋枝(編)出版社:文学通信ISBN13:978-4-909658-68-5 本書を見て、おやと思う。執筆者は、ほとんどが日本の舞踏関係では知られていない。海外の研究者中心という印象だ。実は海外には舞踏の研究者が大勢おり、研究書も多く刊行され、翻訳出版も相次いだ。ケイトリン・コーカーの『暗黒舞踏の身体経験』、シルヴィアヌ・バジェスの『欲望と誤解の舞踏』など。そして、驚くほど多くの舞踏家が、海外でもワークショップや公演を行っている。 日本の戦後の前衛芸術は、二〇〇〇年前後から国際的に注目を集め、舞踏のみならず、ネオダダや「具体」も人気で、十数年前、「イスラエルから具体を研究に日本に来た」という二十代前半の女性に出会ったときは驚いた。「具体」の白髪一雄の絵画はオークションで五億超をつける。 海外の舞踏研究のレベルは非常に高い。日本ではバレエ研究者などが一時的に舞踏を研究することはあっても、舞踏の研究者は数少ない。それは、国内では舞踏の評価が海外に比べて低いためでもある。 その原因の一つは、一九五九年に始まったとされる舞踏が、八六年の土方巽の死で終わったと考える団塊世代が多いことかもしれない。確かに七〇年代の隆盛ほどではないが、大野一雄は、七七年に注目されてから二〇一〇年に亡くなるまで、国内外で広く知られた存在で、海外で土方巽が知られるようになったのは、実は近年である。 本書は舞踏研究が中心の著作であり、「舞踏研究入門」というほうがふさわしい。タイトルの「Butoh」には「海外」も表現されているのだろうが、「舞踏入門」と勘違いする読者もいるのではないか。入門書は初心者に向けたものであり、「舞踏入門」を求める者は、舞踏に関心がある、見てみたい、ワークショップがあれば行ってみたいという人だろう。 本書で舞踏を学ぼう、知ろうという人に役立ちそうなのは三つの論文である。一つは関典子の和栗由紀夫との活動経験の報告、二つ目は、相原朋枝が大野一雄舞踏研究所で学んだ体験の報告だ。さらに相原には、大駱駝艦の麿赤兒のワークショップと舞踏家たちへのインタビューの報告がある。これらには、舞踏家たちの生の声や活動が表現され、相原の大野一雄体験には、その際に録音した大野の音声の引用など貴重でもある。 海外の研究者は日本の文献も読み込んでおり、大野ロベルトの土方巽と文学者たちの関係を描いた論文は、それをよく示している。土方巽についての著書もあるブルース・ベアードの論文、エイコ&コマ研究のローズマリー・キャランデリオの論文も重要だ。 だが、大野ロベルトの舞踏と能の関係を論じた論文は、舞踏については最初の数頁で、能の解説に終始し、違和感を抱かせる。舞踏家たちの解説「舞踏「図」譜」にも多くの言及されない舞踏家がいる。しっかりした舞踏家のリストがあるべきだろう。 このように、本書では、舞踏がどれほど海外から評価されているか、どのような視点で研究されているかを知ることができる。そして、舞踏が舞踊の一ジャンルではなく、日本の特異な前衛表現であると知ることができる点でも、重要な著作である。 日本の舞踊界は、その多くが子ども時代からのお稽古事や、芸者衆による日舞の稽古、シニアの趣味などに支えられている。だが、舞踏家は、芸術としての身体表現を追求しており、その点では現代美術家に近い。だからこそ、独自の前衛表現として海外から強い注目を集めるのだ。その点からも、本書は、舞踊関係者のみならず、美術や文学、芸術に広く関心のある人たちに、手にとっていただきたい。 麿赤兒、笠井叡、舞踏家と名乗らないが田中泯らの活動はたびたび報道される。だが、それ以外の多くの舞踏家が、日々、独自の表現を追い求め、それが国際的に評価されていること。そして、現在、舞踏が世界でどのような位置にあるのかを理解してほしい。それによって、さらに、身体表現とは何か、前衛とは何かを考える視点が導き出されればと思うのだ。(しが・のぶお=批評家)★おおの・ろべると=法政大学准教授・日本文学。★あいはら・ともえ=日本社会事業大学准教授・人文・社会・芸術実践論。