――国際的な交流のなかで日本近代の礎を築いたキーパーソンとして――荒木優太 / 在野研究者・日本近代文学週刊読書人2020年5月15日号(3339号)有島武郎をめぐる物語 ヨーロッパに架けた虹著 者:杉淵洋一出版社:青弓社ISBN13:978-4-7872-9253-7鶴見祐輔、芹沢光治良、谷川徹三、三木清、大佛次郎、ポール・ルクリュ(地理学者でアナキストだったエリゼ・ルクリュの甥)……このような固有名群と白樺派というエコールに属し女性記者と情死したことで有名な作家、有島武郎が浅からぬ関係を築いていたことを、どれほどご存知だろうか。知らなくとも恥じなくて結構。誰もきちんと掘ってこなかったのだから。本書は文学者イメージを超えて人と人との国際的な交流のなかで日本近代の礎を築いたキーパーソンとして有島武郎を見出そうとした労作である。この視角において有島とは人的ネットワークの結節点のようなものであり、その人脈を辿ることで有島研究の新トピックを発見できるだけでなく、無縁に見えた固有名同士を新たな視角のもと繫ぎ合わせる、触媒としての有島の使い方を教えてくれる。 その探究は有島の代表作『或る女』(一九一九年)がフランス語に訳されていたという一つの謎から始まる。一九二九年にエルンスト・フラマリオン社から刊行されたCette femme-là。小説の前編に相当する部分の訳業で、好富正臣という日本人とアルベール・メーボンというフランス人が翻訳を担当している。同時代的に特に評判がいいわけでもなかったこの作が、なぜ異国の地で紹介されたのか。その問いを一つの軸に、当初はホイットマンの詩集『草の葉』読書会として有島が立ち上げた「草の葉会」、また鶴見祐輔が主催し有島もしばしば顔を出していた「火曜会」での縁故の連鎖が次々と明らかになっていく。好富はこの「火曜会」に出入りしていたことのある、パリの日本大使館に勤める外交官だった。 仏語『或る女』の反響は、基本的にはオリエンタリズム――葉子、東洋の女!――に終わったようだが、フランスのなかのアリシマという史実は、新たな連想へと読む者を誘う。『惜みなく愛は奪ふ』を代表例として、有島はフランスの哲学者、アンリ・ベルクソンの生の哲学に大きな影響を受けていた。本書でも『或る女』のなかに認められるベルクソン的音楽世界に関する直接の分析があるが、このベルクソンという思想家は、実は有島が札幌農学校時代に大いに世話になった新渡戸稲造との親交があった。国際連盟の初代事務次長をつとめるため一九一九年から二六年のあいだジュネーブで生活していた新渡戸は、連盟の諮問機関の初代委員長になったベルクソンと手紙のやりとりや宅の訪問などをしている。 本書のもっとも冒険的な主張は、その交流を手がかりに、ベルクソンから有島ではなく、有島からベルクソンを読む線を見出そうとするものだ。即ち、『創造的進化』(一九〇七年)で生命進化の根本動因を「生の飛躍」に求めたベルクソンは、つづく主著『道徳と宗教の二つの源泉』(一九三二年)では社会を開かせる契機を「愛の飛躍」と呼んで、自身の進化論に基礎づけられた社会論を構想したが、この「愛」の概念の由来こそ新渡戸を通じた有島像なのではないか、と。断っておけばこの仮説にどれほどの説得力が宿るかはやや疑問だ。というのも、『二源泉』の「愛」とは、家族愛とも祖国愛とも質的に異なる無差別に広がる人類愛であるが(だからこそ「開かれた社会」を招来させる)、対して有島の描く「愛」の多くはエロティックな異性愛でかたどられ、そうでないにしても少なくとも明確な対象性があるからだ。『惜みなく愛は奪ふ』では、私があるカナリヤを愛する場合、ダンテがベアトリーチェを愛する場合が例示として扱われている。ただし、その仮説が斥けられるとしても、ベルクソンにとっての新渡戸、または日本的なものを論じようとする者にとってここにある仔細な調査結果はなお貴重なものとして残るだろう。個人的にベルクソン研究者の感想など聞いてみたく思ったが、ベルクソンに限らず他の研究者の容喙によってより豊かになることを予感させる。これ自体がハブになることを希っているような一書であった。(あらき・ゆうた=在野研究者・日本近代文学) ★すぎぶち・よういち=愛知淑徳大学初年次教育部門講師・日本近現代文学・比較文学。共著に『文化表象としての村上春樹――世界のハルキの読み方』。一九七七年生。