――大人になった若者たちの人生――磯前順一 / 国際日本文化研究センター教授・宗教・歴史研究週刊読書人2021年6月25日号ショーケン 天才と狂気著 者:大下英治出版社:青志社ISBN13:978-4-86590-116-0 二〇一九年三月二六日に萩原健一が亡くなった。六十八歳だった。死後、多くの雑誌やムックが特集を組んだ。その内容をかいつまんで紹介すれば、次のようなものになる。一九六七年にテンプターズのリードボーカルでデビュー。一九七二年に映画『約束』で本格的な銀幕デビュー。他の代表作に一九七四年の映画『青春の蹉跌』、テレビドラマでは一九七四-一九七五年の『傷だらけの天使』、一九七五-一九七七年の『前略おふくろ様』などがある。 本書の最初の二つの章「スター、ショーケン」「時代を背負う」は、こうした時期のショーケンの活躍に焦点を当てている。しかし、他の類書に比べて異彩を放つのは、初期の輝きが色あせた後の約四十五年間の苦闘の様子をその三倍ものの紙幅、六章分を充てて描いていることだ。第三章「てっぺん」第四章「ひとりぼっち」を境として、ショーケンの後半生は暗転していく。 その時期は、一九七七年テレビドラマ『祭りばやしが聞こえる』の頃であろう。この頃、ショーケンは属していた渡辺プロダクションから独立する。次第に本書の主題が鮮明に浮かび上がってくる。葛藤である。自意識と社会状況のずれが生み出す葛藤だ。何の後ろ盾もない若者が社会の底辺に這いつくばっても生きようとする、あるいは社会の網の目から逃れ出ようとする。ショーケンが演じてきた役は、七〇年安保で自分たちの理想とする社会を夢見た若者たちの挫折感を体現するものであった。実際、彼にはそうした役が、地で演じているかのように似合っていた。 それまでのショーケンにとって、葛藤とは自分自身と社会の間に存在した。他方で、表現者ショーケンと本名萩原敬三の間にはさほど大きな矛盾は生じていないようにも思われた。しかし一九八〇年前後から、ショーケンであることと萩原敬三であることの間に葛藤を抱え込むように見えてくる。バブル経済に向かってひた走る日本社会のなかに、社会体制に馴染むことのできないアウトローたちの居場所がなくなっていく。その頃、テレビドラマ『課長さんの厄年』(一九九三-一九九四年)はショーケン復活を印象づける好演をしているものの、この主人公たちの違和感は既存社会の体制のなかに吸収されてしまい、その存在は小市民にしか思えなくなってしまう。 変わりゆく社会のなかで、自分の演じる役柄を見失っただけではない。芸能界のなかでも、自分が社会的にエスタブリッシュされたことを器用に受け止められないショーケンは、若い頃と同じようにスタッフや監督にぶつかり、いつしか「むずかしい人」という評価ができてしまう。五章「復活の日」六章「熟年時代」七章「再度の転落」は、そのあたりのショーケンの葛藤が描かれる。それは、かつて六〇年代末に自由の王国を夢見た若者が、今度は自分が若者たちに突き上げられる年齢に差し掛かった時に、どのような役割を自分に与えるか。かつて夢見た若者たちの、大人になった人生の難しさを示しているように思われる。 一九八三年に大麻所持で逮捕されたときに、ショーケンは病床の母親から、「お前はどこにいるんだ」と詰問されたという。その時、答えることはできなかった。しかし、晩年に四度目の結婚をしてからのショーケンは、穏やかな心持で病魔に侵された闘病生活を最後まで送ったという。ようやく人生の最後にショーケンは自分の居場所を見つけたのだろうか。第八章「男に惚れられる男だった」では、この時期のことが扱われている。しかし、問題はどのようなかたちで居場所を見つけたかを問うことなのだ。 彼がバンドの一員としてデビューしたテンプターズのヒット曲に「涙の後に微笑みを」(一九六八年)がある。あの曲を歌うショーケンの笑顔には空虚だけれども、何も持たないがゆえにつきぬけた明るさがあった。戦後の焼け跡の青空のように。さよなら、ショーケン。長い間、ありがとう。(いそまえ・じゅんいち=国際日本文化研究センター教授・宗教・歴史研究)★おおした・えいじ=作家。著書に『スルガ銀行 かぼちゃの馬車事件』『自民党幹事長 二階俊博伝』『政権奪取秘史』など。一九四四年生。