有元健 / 国際基督教大学准教授・メディア・コミュニケーション、文化メジャー専攻週刊読書人2016年11月18日号反東京オリンピック宣言著 者:小笠原博毅・山本敦久(編著)出版社:航思社ISBN13:978-4-906738-20-5スイスのローザンヌに本拠を置き非営利のNGOとして登録されているIOC。この組織は自己の商標権を守ることには驚くほど執拗だが、どの国でも課税を免除されているようだ。オリンピック一回の開催につき数億ドルの利益をあげ、だがその用途は監査にもかからず行先は知れず、執行役員の報酬も明らかにされない。そうした組織が開催する「夢と感動のスポーツイベント」なのだから、そもそもアンフェアだと想定しないほうがおかしい。本書の執筆陣は哲学者から物理学者、科学史家、社会学者、野宿者に及ぶが、彼らはこのイベントのもつ根本的な悪質さをしっかりと論じ尽くしてくれる。本書の各章が指摘する論点は次のように要約できるだろうか。第一に、それがスペクタクルの政治を発動させ、スポーツナショナリズムの幻想によって現実の危機や政権にとって都合の悪い議題を隠蔽し、忘却させること。福島原発事故がコントロールの下にあると堂々と宣言した安倍晋三の言葉にそれが端的に表れている。複数の執筆者が指摘しているように、その発言は事実を隠蔽する嘘である以上に、「オリンピック幻想のもとに国民を完全にコントロールしうる」ことを示した行為遂行的発言とも受け取れる。第二に、それが「感動」や「夢」といったスポーツをめぐる美辞麗句の下に公的資金を垂れ流し、一部の企業のみがその受益者となる、「祝賀資本主義」(本書144頁)の代表的なイベントであること。もはやオリンピックの第一の機能は新自由主義的な都市再開発の大義名分としてのものだ。投資家やデベロッパーが暗躍し、“快適な”都市空間が形成され中流層が流れ込む。また莫大な税金をつぎ込んで建設される施設は、私たちの記憶や文化を継承するものとしての遺産=レガシーというよりも、「返済遺産」(本書183頁)として、大会後には民間団体の手によって管理運営されていく。第三に、それが現実の暴力として機能すること。オリンピックはジェントリフィケーションという名のもと都市空間の浄化のために貧困層や野宿者を排除し、そのイベントに反対する人々を抑圧し、そしてテロ対策などという統制を発動する。NGOのイベントが国家的“非常時”として人権侵害を許容するわけだ。そして第四に、それがスポーツという文化そのものを「搾取し、その固有の力を剥ぎ取り、衰退させる」こと(本書239頁)。スノーボードのようにオリンピックの枠組みに取り込まれ商品化されることによって発展を止めてしまうスポーツもあるという。 本書は2020年に東京で開催されることに今のところなっているオリンピックへの決定的な批判である。本書が示すように、これまでも世界中で反オリンピック運動は起こってきたし、そして現在も日本で反オリンピック運動は進行中である。私たちはそろそろ、「もはやコントロールされていない」ことを本気で示すときではないだろうか。(ありもと・たけし=国際基督教大学准教授・メディア・コミュニケーション、文化メジャー専攻)★おがさわら・ひろき=神戸大学大学院教授・文化研究専攻。編著に「黒い大西洋と知識人の現在」など。★やまもと・あつひさ=成城大学准教授・スポーツ社会学専攻。編著に「身体と教養」、共著に「オリンピック・スタディーズ」など。