――定説から外れた芸人の実像、証言や想像力で迫る――太田省一 / 社会学者週刊読書人2020年9月25日号永田キング著 者:澤田隆治出版社:鳥影社ISBN13:978-4-86265-779-4 どんな歴史にもいつの間にか出来上がった〝定説〟がある。それは一方で、さまざまなものが切り捨てられた結果の産物だ。ただ、その切り捨てられた部分は決して取るに足らないものではないし、その視点から光を当てるとき歴史は新たな相貌をしばしば私たちに見せてくれることにもなる。 本書は、大衆芸能史の分野におけるその意味での優れた成果だ。大衆芸能史の〝定説〟からはほとんど顧みられてこなかった永田キングという芸人が、ここでの主役である。 戦前から戦後にかけて活躍した永田キングはいくつかの本で言及され、映画などにその姿を残すが、これまで大きくスポットライトを当てられたことはなかった。しかし、資料や証言をもとにその足跡を詳しく振り返ってみると、エンタツ・アチャコやエノケンといったいまも知られる有名芸人たちと同時期に人気を集めていた様子が、その時々の演芸界や社会の状況とともに浮かび上がる。 当時の永田キングをたどる手掛かりは、まったく十分とは言えない。しかし著者は、あきらめることなく実に丹念に資料や証言を集める。当時の新聞、雑誌の記事や広告、劇場のチラシ、そして肉親や関係者の証言など。特にキングとともに芸人をやっていた三人の息子をようやく見つけ出し、直接聞いた話から次々と真相が明らかになっていくくだりはスリリングであり、本書の白眉のひとつだ。 だがそれでも空白は残る。そんなとき、著者は想像力を駆使して永田キングの実像に迫ろうとする。いうまでもなく著者・澤田隆治は、演出家として『スチャラカ社員』『てなもんや三度笠』などテレビの草創期から人気バラエティ番組を世に送り出してきた人物だ。そうした現場での豊富な経験の裏付けがあるからこそ、資料や証言の隙間を埋める推論には確かな説得力が感じられる。本書は、そうした事実と想像力のバランスが絶妙で、どちらかに比重を置き過ぎれば、そのバランスはたちまち崩れてしまっただろう。それはおそらくこの著者にしかできなかったことだ。 そうして肉付けされ、解き明かされていくなかで見えてくる芸人・永田キングの姿も実に魅力的、かつ興味深い。永田キングは一九一〇年生まれ。戦前に実妹との漫才コンビ永田キング・エロ子でスタートし、スポーツ選手の物真似芸で人気を博した。その後グルーチョ・マルクスを模した扮装と動きで「和製マルクス」と呼ばれ、鮮やかなギャグで人気者になるとともに「永田キング一党」なる一座を率いて活躍した。戦後はテレビには出演せず米軍キャンプを回っていたが、その縁から海外渡航自体が珍しかった時代に雪村いづみらとともに渡米してNBCの番組に出演する快挙を成し遂げた。 その番組内で披露されたのが、著者も実際に見たという野球芸である。息子三人とともにユニフォーム姿で演じる野球コントだが、まだスポーツ中継でスローモーションの技術のない時代にスローモーションで滑り込んだり、回転してキャッチしたりしたという。いわば時代を先取りした〝早すぎた〟芸というわけで、私などはそのはるか後に明石家さんまがプロ野球選手の形態模写で人気者になるきっかけをつかんだことを思い出した。 気づけば二〇世紀も遠くなりつつあるいま、現代史も時間との戦いという様相を帯びようとしている。たとえば、戦争をいかに語り継ぐかという問題はその最たるものだが、語り継がなければならない歴史は戦争だけではない。大衆芸能の歴史もまたそうだろう。とりわけ、お笑い芸人がこれほど社会的影響力を持つようになった現在の日本社会のある種特異な状況を鑑みても、大衆芸能とその背景にある社会の関係、その歴史はきわめてアクチュアルなテーマであるはずだ。かつて吉本興業が朝日新聞との協力で結成した戦地慰問団「わらわし隊」の話も登場する本書は、その意味において大衆芸能に興味を抱くひとのみならず芸人と社会の関係に関心を持つひとにとっても味読に値する一冊である。(おおた・しょういち=社会学者)★さわだ・たかはる=テレビ・ラジオプロデューサー。著書に『決定版私説コメディアン史』など。一九三三年生。