――「鉱物志向者」の系譜、「大結晶」を中心とした「驚異の世界」――郷原佳以 / 東京大学准教授・フランス文学週刊読書人2021年2月26日号観念結晶大系著 者:高原英理出版社:書肆侃侃房ISBN13:978-4-86385-426-0 鉱石には不思議な魅力がある。人間のために選ばれて加工され、宝石として装飾品になる以前の、熱や光などの自然作用によって化学的に組成され、規則的な多面体の結晶や色合い、そして輝きを帯びた石。採掘されなければその場で静かに光を放ち続ける石。洞窟附設の博物館で鉱石を眺めたりミュージアムショップで石を選んだりしていると飽きることがない。では、世界に一つだけの鉱石を自分の夢想や精神から生成、いや結晶させることができるとしたら? あるいはまた、鉱石を口に入れて生きることができるとすれば? 本書の中心部には、そんなことができる人々の住む、「大結晶」を中心としたヴンダーヴェルト――ドイツ語で「驚異の世界」だが、それ自体が世界であり、「語源は誰も知らない」とされる――の報告書が収められている。本書は三部構成の本篇に序章と終章で構成されているのだが、その報告書『ヴンダーヴェルト』は第二部「精神の時代」で読むことができる。その報告書が現在の私たちの世界にやって来たのは、あるアメリカ人の膨大な夢の記録としてであり、それが日本語に訳されたというわけである。 本書は表題通り、人間の観念によって生成され無限に成長し続ける幾何学的な正多面体の結晶というイデアをめぐって、それ自体も多面体的な全体を成している。先述のように、そのような結晶の世界はヴンダーヴェルトと呼ばれ、記録によってしか窺い知ることはできないのだが、しかしそれは私たちの世界の過去に存在したわけではない。地球上ではこれまで一握りの人だけがヴンダーヴェルトの使徒となるべく天啓を受け、そこへと通じる精妙な音楽を耳にし、「結晶の知への憧れ」を育んできたが、私たちの世界は無限の世界からかけ離れている。ゆえに地上の使徒たちが受けた天啓の変遷を描いた第一部は「物質の時代」と題され、第二部「精神の時代」と対置されている。 第一部自体が多面体を成しているというのは、序章のヒルデガルト・フォン・ビンゲンに続き、数頁ごとに焦点人物が替わり、地球上の遠く離れた時空で生きる人々が球体の結晶に引き寄せられ、それぞれの仕方で関わりをもつさまが語られるからだ。焦点人物にはノヴァーリスやニーチェ、ユングなど歴史上の実在の人物もいれば、おそらく架空と思われる人物もいて、前者については史実が織り込まれているから、「鉱物志向」という視点から史実と虚構が混ざった系譜が描かれることになる。文中にもあるように、「鉱物志向」に関してもっとも中心的に参照されているのはノヴァーリスを含むドイツ・ロマン主義だろう。節を読み進めるうちに、時空を遠く隔てた彼らが「結晶」の周りにだんだんと繫がってゆくのが見えてくる。繫がると言っても地上においてではない。彼らの多くは、あるとき気がつくと宇宙空間を浮遊しているという経験を経て、徐々に自らの使命を悟ってゆく。第一部の最初の数節は、文体がどこかこなれず、人物造型もクリシェに沿ったものに感じられるが、体系的なファンタジーとしての本書の趣向が見えると、焦点人物たちが通時的に繫がるさまが見たくなり、ページを繰る手が速くなる。ところが、一九八六年には「観念結晶」のイメージを抱く者が共時的に現れたらしい。原因は、天啓を受けた者たちが「クリスタリジーレナー」つまり「結晶化させる者」になったからである。この帰趨は第三部で語られる。 第二部は先述の通り、夢から再構成されたヴンダーヴェルトの記録である。文体は第一部・第三部と異なり、生態についての各流派の解釈を第三者的に紹介する箇所など、すぐれてボルヘス的である。物語パートと博物誌パートに分かれているが、「鉱物志向者」の好奇心をくすぐるのは博物誌パートだろう。「結晶樹」「石きのこ」など、ヴンダーヴェルトの生態がいかに鉱石と不可分かがわかる。物語パートでも、夢想から作られる「夢想結晶」、精神から作られる「考思石(こうしせき)」、口に入れる「霞(かすみ)玻璃(はり)」など、実に魅力的だ。霞玻璃で生きる老婆が二人の若者に話して聞かせる楽士の物語は、本書全体の象徴のように感じられる。ある楽士が夢のなかで「全宇宙を統べる真の音楽」を聴き、その調べの調律師となるために心を研ぎ澄ます修行を行い、地上での死と引き替えに天の音楽を奏でるようになる、という逸話である。 第三部「魂の時代」では、先述のクリスタリジーレナーの作用を受けた者たちが「石化症」に罹った事情が描かれる。重要なのは、この第三部が、病の源を探る人物の視点で第一部の系譜を逆に辿り、本書の読者が感じているかもしれない違和感、すなわち「古臭いロマンティシズム」への反感を描き、さらに、石化症者から思想を引き出した者が度しがたい独裁者になる帰趨を描いていることである。少なくともナチス以後、この反省なしにロマン主義的な無限への憧憬を語ることは許されない。その覚悟の上で著者が本書を書いたことがわかる。終章では石化症者たちが宇宙の響きを聴いている。彼らと断絶した「物質の時代」の荒廃はいかばかりだろう、いや、すでに絶滅後なのかもしれない。(ごうはら・かい=東京大学准教授・フランス文学)★たかはら・えいり=作家。博士(学術)。第一回幻想文学新人賞受賞。第三九回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。著書に『少女領域』『エイリア綺譚集』『闇の司』『無垢の力』『ゴシックハート』『不機嫌な姫とブルックナー団』『ゴシックスピリット』など。一九五九年生。