重城守 / 東京大学教養学部二年週刊読書人2020年4月17日号(3336号)天冥の標 1(上)著 者:小川一水出版社:早川書房ISBN13:978-4-15-030968-8本シリーズは、スペース・オペラ、性愛の理想的形態の模索、ネットワークの中で生まれる知性、宇宙時代の農業、子供たちだけの共同体、ポストアポカリプスなど多岐に渡る内容を、全十七冊というスケールで描く。しかし特筆すべきは「SFの満漢全席」とも称される華々しさの陰で、底流のように重苦しく感染症が起こす差別と分断を描き続けていることだろう。 この書評を執筆している二〇二〇年初旬、新型コロナウイルスの感染が世界に拡大しつつある。外出自粛、損害補償、マスクの配給などが話題に上る中、最も深刻な問題はちっぽけなウイルスが起こす大きな分断だ。陽性患者を受け入れている病院の職員の子供が、託児所で受け入れを拒否される。発熱した状態で日本に帰国しようすれば、ネット上で激しいバッシングに遭う。「感染拡大防止」という正義の旗印のもと、ともすれば差別ともとられるような過激な行いが正当化されていく。 こうした差別が恒常化したらどうなるか。本作はそのような思考実験の成果とも言えるのだ。本作に登場する致命的感染症「冥王斑」の最大の特徴は、「回復しても感染力を保つ」という点である。つまり患者は運よく生き延びたとしても、永遠に保菌者として人々から忌避される運命を背負う。さらに垂直感染もするため、子々孫々に至るまで患者はこの病から逃れられない。根本治療薬の開発が行き詰まる中、回復患者たちは「永遠の保菌者」という共通のアイデンティティをもった民族のような集団を形成する。ますます深まっていく感染者と非感染者との間の分断は、解消できるのか。 第二巻「救世群」はそうした問いに無慈悲にも「No」を突き付ける。舞台は現代、冥王斑発生当初の混乱を描くこの巻の最終盤、パンデミックは何とか収束する。しかし、そのために人類が選んだのは患者たちを劣悪な環境の収容施設に押しこめ、徹底的に差別するという手段だった。そして皮肉にも、その措置を講じた張本人の口から次のような言葉がもれる。 「なぜ人間は、恨むべきでないものを恨むんでしょう。今回のことはすべて、冥王斑ウイルスという、目で見ることもできない、ちっぽけな存在が原因です。いや、ウイルスすらも、恨む相手ではない。それが出てきたのは、自然の進化の成したことなんですから」 「救世群」以降、人類が宇宙へと進出して太陽系内に広がり、さらに〝拡散時代〟の掛け声のもと系外惑星への植民地建設を目指して繁栄を謳歌する陰で、五〇〇年の長きにわたって差別と分断に苦しめられる二〇万人の患者たち。本作では、負の側面を抱えた未来の人類史が、清濁併せのんだ多様なテーマを盛り込みつつ紡がれていく。 最後に、忘れてはならない要素がもう一つ。羊である。羊は本シリーズの隠された主題と言っても過言ではない。従来の小説では「従順」「犠牲」の象徴として描かれることが多い羊たちが、本シリーズでは型破りな活躍をする。重苦しくなりがちなストーリーの中で、時にコミックリリーフとして、時にキーパーソン(?)として躍動する小川一水氏の描く羊たちを、存分に楽しんでもらいたい。★じゅうじょう・まもる=東京大学教養学部二年。ワンダーフォーゲル部と天文部に所属。本と調ベ物が趣味で、最近は図書館の調査業務に興味が湧いてきています。