――ノーベル文学賞候補詩人の現場――九螺ささら / 歌人週刊読書人2021年3月26日号西脇順三郎の風土 小千谷を詠んだ詩の数々著 者:中村忠夫出版社:クロスカルチャー出版ISBN13:978-4-908823-79-4 故郷小千谷は詩人になる前の西脇順三郎の一部であり、また詩人になってからの西脇がしばしば帰る場所であった。同郷である著者は、西脇本家を知らない人はいない小千谷でのエピソードを披露する。 しかし本書は、天才詩人のプライベートという一側面にとどまらない。医師である著者の誠実な調査と地道な筆運びが、西脇の貴重な「現場の証言」を記してゆく。 西脇がいた現場とは、「天才の脳内を所有する詩人の今ここ」だ。以下は、大正十五年に書かれた「内面的に深き日記」という詩についての記述だ。 《「新鮮な自転車」とか、「一個の伊皿子人(イサラゴジン)」などという表現はおよそ今までの常識から逸脱した表現であり、最後の二行などは一体何を言っているのか分からないような言葉の羅列で、西脇先生自身に聞いても、「よく分からんな、その時は勢いで書いた」などと言って読者を混乱させている。当時イギリスやフランスで起きたシュールリアリズム(超現実主義)運動の影響もあるのだろうか。》 この詩が書かれたのは、現代詩の生誕と騒がれた「天気」の入った詩集『Ambarvalia』が出版される七年前だ。 天気(覆(くつがえ)された宝石)のやうな朝何人か戸口にて誰かとささやくそれは神の生誕の日。 この三行詩は、信仰そのものだ。信仰とは何か、考える以前にピュアな魂が感受する。そういう、意識以前の本物の信仰、神なる未知への捧げ物が、文字化けの如く文字化されている。そして、その本物の信仰への命名が、タイトルの「天気」だ。二文字はこの詩の前で、その真髄を発揮され正しく輝いている。この天気は、ウェザーのことではない。天=宇宙、の気(オーラ)。天=神、の気(意思)、だ。 この詩の凄いのは、文字を目から入力した誰もに、凄さが直入することだ。凄い詩は人を選ばない。選ぶことができない。凄い詩は神のお告げ(神託)で、神はその脳内アクセスにおいて平等(万人アクセス)だから。 西脇は「天気」の少し前から、神に選ばれ脳内をジャック(憑依)され、神託文字化脳にされたのだろう。その頃の脳内所有者としての発言が、先の「よく分からんな、その時は勢いで書いた」なのだろう。 脳内とは本来、その密閉構造からして物理的には「誰にも侵犯されない秘密基地」のはずなのだが、イメージや言葉は目鼻耳センサーから入り込み、神は存在の源と全体の比喩として既にインストール済みだ。神はすべての端末(脳内)に、スリーセブンのゲームをさせている。スリーセブンが「出てしまった」人が天才と呼ばれる。「偶然の産物であるこの世」の擬人化である神は、偶然の一致の確率の高い、スリーセブンの出やすい脳を、布教にもってこいのコスパの高い端末と認識してジャックする。 そうして選ばれた天才は、神託をそれぞれの表現でアウトプットし続け、我々は、天才が生み出す神イイネ表現に心酔し、天気の虜となって存在を肯定し続ける(よって神は消去されない)。 ……そんなこの世の秘密が、覆された宝石の如くそこここに輝いているのが、一見地味な本書である。(くら・ささら=歌人)★なかむら・ただお=医師、西脇順三郎を偲ぶ会会長。第九回新潟県出版文化賞(文芸部門)受賞。一九四四年生。