――なぜ「公平で、民主的で、文化的な」国家になり損ねたか――坂川直也 / 東南アジア地域研究研究所連携研究員・東南アジア地域研究週刊読書人2021年8月27日号ベトナム:ドイモイと権力著 者:フイ・ドゥック出版社:めこんISBN13:978-4-8396-0324-3 本書は、ベトナムのジャーナリストによる、母国がなぜ、「公平で、民主的で、文化的な」国家になり損ねたのか、ホー・チ・ミン亡き後、ベトナム共産党を継承した指導者たちに焦点を当てて、その失敗と挫折の軌跡を検証した、ベトナム版『ベスト&ブライテスト』の2巻本の後編に当たる。前篇は『ベトナム:勝利の裏側』として2015年にめこんから翻訳された。本書の第1部では、レ・ズアン、チュオン・チンの後に、1986年の第6回党大会で党書記長に就任したグエン・ヴァン・リンの足跡を辿る。第2部では、2011年の第11回党大会までの指導者たちを取り上げる。 そして、指導者間の人間関係や政策決定過程、さらに、権力闘争を描きながら、ドイモイ(刷新)政策導入以降、改革できた事、できなかった事がそれぞれ検証される。第一に、多元主義・複数政党制の導入は、リンが一党独裁制度を守るべく阻止される。「党が改革を実行しなれば、流血の事態を招くだろう」と予言した作家ズオン・トゥー・フオン(『虚構の楽園』他)に対して、リンは逮捕せよと命令を下した。報道界への統制も始まり、表現の自由の短い春も終焉を迎えた。第二に、市場経済の導入は、支持派と国庫補助金制度(バオカップ)支持派との論争が長らく続いた後、1991年にようやく党の文書に「市場経済」を盛り込むことで、大きな前進をもたらした。第三に、三権分立に関しては、1991年ソ連の解体の反動により、国会において、共産党が国家管理を担う一党独裁体制のさらなる強化を招き、否認された。つまり、ドイモイ以降、経済活動は紆余曲折がありながら、自由化されていくものの、その他の自由は党に掌中されたままという、歪なベトナムの権力構造が克明に分析される。 この歪さに対する著者の怒りはこの本を通して、一貫している。特に、党幹部による文化人や知識人の弾圧事件と、党幹部同士における失脚や追い落とし事件に関する記述において冴えわたる。読者が最もゾッとする章は、軍事指導者として名高いヴォー・グエン・ザップ将軍を妬んだレ・ズアン、レ・ドゥック・トら、党政治局の中枢にいる権力者たちによる、汚名を着せて失脚させようとする事件の数々を暴いた第4章だろう。80年代、新聞紙面における、ザップの戦績や功績の隠蔽、そしてレ・ズアンの功績捏造に関する記述は、かつての英雄、革命家たちのなれの果てである党幹部がメディアを牛耳り、歴史改変を行う恐怖、さらに、党幹部、つまり、いい歳をしたジジイたちによる男同士(同志)の絆の陰湿さと気持ち悪さを十二分に伝え、革命神話に関するロマンティックな幻想を木端微塵に打ち砕く。 しかし、この本の記述は克明ゆえに、読みにくさも伴う。その主な要因は二つある。まず、ベトナム人名が多く出てくるにもかかわらず、巻末には「本書に登場するベトナムの主要な指導者」の見開きページしか存在しないため、日本の読者は、ある程度、ベトナムの著名人の知識がない場合、分かりにくく、混乱することだろう。次に、人物や状況説明のために、たびたび、ドイモイ以前の過去に遡る記述が挿入されている。しかも、この回想が長く、なかなか戻ってこないので、本題を見失いやすい。したがって、読み進めるのに、ハードルの高い本になってしまっている。 もっとも、この読みにくさのハードルを越えるに、余りある、ベトナムの歴史と政治に関する第一級の充実した内容を持っている。本書の出版社めこんから刊行されていた、タイン・ティン『ベトナム革命の内幕』『ベトナム革命の素顔』に、21世紀の話題、さらに参考資料もボリュームも怒りも倍加した増補決定版と呼べばいいだろうか。ちなみに、このタイン・ティンも本書の第2章に登場する。あと、この春、刊行され、話題になっている塩川伸明『国家の解体:ペレストロイカとソ連の最期』(東京大学出版会)に扱われる時代とも重なり、ゴルバチョフに助けを求めたが、丁重に断られた、ソ連の衛星国ベトナム側の記録として、一緒に読まれるのも一興かもしれない。(中野亜里訳)(さかがわ・なおや=東南アジア地域研究研究所連携研究員・東南アジア地域研究)★フイ・ドゥック=フリーランスのジャーナリスト。一九七九年三月、ベトナム人民軍入隊。一九八四~八八年、軍の専門家としてカンボジアで勤務。一九六二年生。