――浮き彫りにされた性差をめぐるラカンの思想――佐藤朋子 / 金沢大学准教授・精神分析史週刊読書人2021年5月14日号女は不死である ラカンと女たちの反哲学著 者:立木康介出版社:河出書房新社ISBN13:978-4-309-24981-0 性差の由来とその複雑さを説明する事実として人間の生物学的存在や社会的文化的存在を論じることが世に広く定着しているとして、ラカンとともにはさらに言語的存在としてのあり方を問うこことができる。本書で読者はラカンと女たちの生き生きした姿を追いながら、そのことを肉付けされた形で知るだろう。 著者は広い意味でのラカン論をすでに幾冊も上梓しているが、精神分析史の観点からすると本書はそのうちもっとも野心的で革新的である。 そもそもフロイトは分析実践において父親転移しか引き受けられず、過去を反復する患者によって母的な立場に置かれることに耐えられなかった。つまり、かつての父、父の代理としての諸々の指導者や助言者、換言するなら、男性患者がかつて男性的アイデンティティの獲得においてモデルにした人物たちと同じ場しか占められなかった。その分析家としての力量と経験の限界を踏まえてか、理論においても女性性にかんする自らの知見の乏しさを認め、集団心理の同時代の例では兄弟愛で結びつく教会と軍隊しかとりあげなかった。そのかぎりで、フロイトが論じる「女性」を問題化し、再考することは、批判である以上に、知的誠実さを肯定して公正な態度で遺産を受け継ぐ努力だと言える。「女なるものは存在しない」は一九七〇年代初めにラカンが呈示したテーゼである。これを敷延しようとして、「女なるもの」とは何か、何を意味するのかと問い始めるやいなや、私たちは誰かあるいは何かによって用意されていた罠に陥ることになるのだろう。本書はその点巧妙なアプローチをとり、「女なるもの」、つまり単一で普遍的な概念としての「女」が追究されたのち斥けられるまでの流れを浮き彫りにし、その豊かな帰結を明らかにする。 フロイトが「ペニスがないこと」を基本的な与件として女性性の問題を設定し、ジョーンズとフェニヒェルがペニスと去勢の心的な価値を再定義し、五〇年代にラカンが、卓越性を表す勃起状態のペニス、一言でいうならファルスのシニフィアン性を明確にして問題を洗練させ、愛と欲望の弁証法における男のポジション「ファルスをもつ」に対して女を「ファルスである」に位置づける。「総論」と題された第一部は流れをそう辿ったあと、六〇年代の理論的変動が後半以降とくに享楽の問いの錬成を加速させながら七〇年代初頭に到達した地点で、四つの論理学風の式からなる「性別化の表」をはじめとするいくつかの定式や命題を読む。その読解では、女の享楽が「ファルスの彼岸の享楽」あるいは「上乗せ享楽」という資格において、かのテーゼが「女たちはけっしてファルスのもとにひとつの普遍的な集合を形成しない」(七五頁)ことを意味するものとして詳らかにされる。 表の右上を占める式の読解はひときわ鮮やかである。過去にはJ・ドール流の読みをS・ジジェクが批判したように、この箇所では論者による解釈の違いがしばしば際立つが、立木はこれを、ファルス関数に従わない例外者(原父)の否定を意味するものと読み、例外の存在により保証されていたファルス関数の宙吊り、女の領域とされる表の右側と男の領域すなわちファルス関数の支配を表す左側の断絶、表にかく刻まれた「性関係はない」という同時期の別の名高いテーゼを次々と指し示し、表に凝縮されていた思考を一挙に展開する。 第二部「各論」は女たちの名をそれぞれ冠した六章で構成され、ラカンが果たした邂逅をほぼ年代順に語る。オフィーリアやフロイトの女性患者についての注釈が欲望論の発展を支え、M・ボナパルトがシニフィアン理論の先鋭化を触発し、デュラスの作品が享楽の問い直しの決定的な契機を与え、アビラのテレサによる享楽の証言が、「男および女はいかに振舞うべきかを定める、一般的な〔言説〕の総体」(二一一頁)というべきファルス関数が第一義とする器官の享楽(まず性器に定位される享楽)に「上乗せ」される享楽の思考を要請したことをありありと描きだす。そして、そのテレサとラカンの愛人であったC・ミーヨとともに、「総論」のどこにも送り返さないまさに本書のテーゼとして「上乗せ」の無際限と女の不死を高らかに謳いあげる。 原父は殺害されたのち神格化されて不死となったとフロイトは『集団心理学と自我分析』で述べた。女の不死のテーゼはそこからはるかに隔たったところで、生と死の境界を消し去る「広大」の経験、ときに異端を疑われもする神秘体験への信を拠りどころにして宣言される。巨大な空間がここに切り開かれたことになるのだろう。終章の示唆によるなら、それは、二人ではないが唯ひとりでもない神をめぐるラカンとミーヨの言葉を解釈することをとりわけ可能にする空間である。(さとう・ともこ=金沢大学准教授・精神分析史)★ついき・こうすけ=京都大学人文科学研究所教授・精神分析。著書に『精神分析と現実界』『露出せよ、と現代文明は言う』『狂気の愛、狂女への愛、狂気のなかの愛』、編著に『精神分析の名著』など。一九六八年生。