――市井の女たちの生のありようと、家族のトラウマのありよう――長谷川啓 / 女性文学研究者週刊読書人2021年8月6日号遠ざかる日々著 者:難波田節子出版社:鳥影社ISBN13:978-4-86265-887-6 今、フェミニズムやジェンダーの再燃がめざましい。そのこととも関連しているのか、最近、新聞小説などをみても家族小説が多いように思われる。そしてこの家族物語に着眼したのがフェミニズム思想であった。 今に限ったことではなく、いつの時代でも家族の問題は、人間性や人生を大きく変える根源になるからだ。ことに結婚することが主流であった時代に妻・母・主婦などの性役割のもとに家庭に閉じ込められていた家父長制下の女たちにとって、この問題こそが最大の難事であった。 本書は女の語りによる市井の女たちの生のありようを、家族のトラウマのさまざまなありようを見つめた作品集である。大正末から昭和の終わり頃か、もう少し先の平成にかかる時代まで描いているようだが、関東大震災や戦争や敗戦、戦後の復興の暮らしぶりがリアルに追跡され、それだけに自ずとジェンダー社会が炙り出されているのである。 六篇収録されているが、表題作の中篇「遠ざかる日々」は、あの有名な「おしん」のような辛い人生を健気に生き通してきた女の記憶だ。両親を早くに亡くし、三人の兄も貧しくて他家で子守りをし続け小学校も満足に通えなかった過去をもつ。娘になってようやく東京の次兄に引き取られたものの女中のように働き、やがて仲居として働き続けて、戦死した初恋の人の面影を胸に秘め、軍人一家の嫁・妻として戦中戦後を生き抜いていく。だが、姑が広島で被爆し、迎えに行った夫も残留放射能に冒される。そして三人目の子供を未熟児出産してしまうが、我が子を障害をもつ子にしてしまったのも、自分のせいだと思い込む。男子出産が望まれる時代に、女児の出産により母親を産褥熱で死なせてしまった自分は「鬼子」だと責め、見合い結婚をして初恋の人を裏切った罪深い女として自分を責め続けるのだ。戦中戦後のジェンダー差別と階級差別の時代にあって、働き者で慎ましく生きながらもなお自分に負い目をもたざるをえなかったのが女性の背負う人生だったのである。そして、初夜における軍人の夫の、まるで慰安婦に接するような荒々しく粗暴な行為に、あらためて軍国主義社会、ひいては男社会の象徴を痛烈に突きつけられる思いがする。 さらに辛く怖い話が「女系家族」である。かつて「後家のがんばり」という嫌な言葉があったが、夫亡き後、娘と息子を育て上げた母と、一家を背負って働き続けた娘が「一卵性双生児」のように支え合って生きる親子の関係。娘は子連れの男と遅い結婚をするが、母親は割り込んできたような娘婿とその連れ子に厳しく、とくに少女の連れ子を継子苛めのように虐待する。息子の嫁も夫を亡くして一人娘を育てながら、母親のエゴに執着する姑と同じ女になっていく予感がちらりとよぎる。頑張りのはけ口が弱者への苛めとなっているのだ。 また、「冬の木漏れ日」の主婦たちの、「女は何といっても結婚が最高の幸せですもの」という意識や長年職場で働く義姉を結婚させようとする余計なお節介。「寒桜」で描かれるシングルマザーゆえに恋心を抑制してしまう辛さ。いかにジェンダー意識に女性自ら縛られているかが見つめられている。「赤い造花」では、結核で父親を亡くし一家は戦災に遭って母親が工場で働き続ける生活で、貧しさの不満を母にぶつける少女の複雑な反抗心を描く。柔らかな筆致ながら、女性たちの生きがたさ、その呻きや痛みが全編を通して伝わってくる、現代への問いかけに満ちた作品集になっていよう。 ことに最終話の「懐かしい街」は、東京大空襲、学童疎開、天皇の玉音放送、敗戦の焼け跡からの出発という生活苦をともに生き抜く家族それぞれの立場が多声的に語られ、副題の「巣鴨そして弟」の回想が切なく胸に迫り、哀愁漂う好短編である。今後を期待したい。(はせがわ・けい=女性文学研究者)★なんばた・せつこ=作家。著書に『三つの小さな足跡』『太陽の眠る刻』『晩秋の客』『アラビアの白い薔薇』『雨のオクターブ・サンデー』など。