――『蜻蛉日記』と『源氏物語』の中間に――司修 / 画家週刊読書人2021年6月25日号賀茂保憲女 紫式部の先達著 者:天野紀代子出版社:新典社ISBN13:978-4-7879-6851-7〔ベストセラーばかり追いかけずに、なるべく人の読まない本、自分の世界とは無縁の本、むずかしくてサッパリわからない本を読むのも、頭脳の細胞活化のためにいいのではないかと思います〕。 向田邦子が『眠る盃』というエッセイ集の「国語辞典」に書いている。『賀茂保憲女 紫式部の先達』というタイトルに多少怯え、私は向田邦子のユーモラスな言葉が浮かんだのであろう。ところが、一ページ目から引きこまれてしまった。 〔十世紀の末、『賀茂保憲女集(かものやすのりじよしゆう)』という、長い序文を冠した歌集を残した女性がいた〕というのである。しかも同時代には評価されず、百年後の『新古今和歌集』に一首選ばれたが、「読み人しらず」で名はなく、藤原定家は、「歌には一首も取るべきものなし」と評したらしい。〔定家には気に入られず、無名の歌人のままで三百五十年〕という、私にとって魅力的な経歴の持ち主である。 埋もれるという運命には謎がある。陰陽師という家系、というのも謎がふくらむ。「賀茂」という氏の女性は、陰陽師・安倍晴明の師匠、賀茂保憲の娘であるという。 時は、十世紀末。『蜻蛉日記』と『源氏物語』の中間に、『賀茂保憲女集』は生まれ、その序文は、『方丈記』一冊分ほどの長さだという。これも謎と魅力がふくらむ。「序文」には、〔はかない鳥といへど、生(む)まるるよりかひあるは、巣立つこと久しからず。はかない虫といへど、時につけて声を唱へ身を変へぬなし。かかれば、鳥虫に劣り、木には及ぶべからず、草にだに等しからず、いはむや人には並ばす。〕とはじまる。この強烈な言葉。その心は尋常ではない。〔冬も、桜心のうちには乱る、夏の日にも心のうちには雪かき暗らし降りて、消え紛ひなどすれば、定まることなく〕という自由な感覚が、死と直面したことから生まれたとある「序文」の最終章を読むと、芸術というものの謎も感じられるのである。〔もがさといふもの起こりて、病みける中に、賀茂氏(かもうぢ)なる女(をんな)、よろづの人に劣れりけり。〕 もがさとは疱瘡=天然痘のことで、「賀茂氏なる女」は、〔万事にわたって人より劣っているのに、疱瘡にだけは選ばれて立派に罹ったのだった、とユーモラスにいっている〕という著者の解説文は、賀茂氏なる女の力強い生命力と想像力を称える笑いとしてプラスされる。 疱瘡の大流行があった九七四年、高貴なお方の二人のお子の亡くなったことによる歌が紹介されている。朝(あした)に紅顔あって世路に跨れども暮(ゆふべ)には白骨となって郊原に朽ちぬ これは、どんな名医がついていようと、高価な薬を飲もうと、疱瘡に罹ったら、死しかないという哀れである。 しかし「賀茂氏なる女」にとって、生き延びられた薬は「歌」であるという。「ああよかった」ではなく、生きることの自由を得られたと伝わる。 この書は『源氏物語』研究から生まれている。著者のいう〔家に閉塞している女の想像力はどこまでも自由だ〕とは、どのような時代にあっても、女性の自由と想像力は存在するということであろう。(つかさ・おさむ=画家)★あまの・きよこ=元法政大学文学部教授。著書に『大斎院前の御集全釈』『跳んだ『源氏物語』死と哀悼の表現』『源氏物語仮名ぶみの熟成』など。一九四〇年生。