――憂慮する時代の証言者――飯森明子 / 亜細亜大学講師・日本外交史週刊読書人2020年11月13日号日米同盟を考える 〈共同体〉の幻想の行方著 者:浅海保出版社:作品社ISBN13:978-4-86182-802-7 建国以来米国は、多様な人種と移民によって発展し、強い経済力と軍事力をもって西側諸国の雄となったが、冷戦期にはどんなにソ連と対立しても、米ソが直接戦闘を交えることはなかった。しかし「自由と民主主義」を掲げてきた米国の長年の理念は、二一世紀に入るころから変化を始めた。一方、冷戦末期から力を付け始めた中国は、冷戦終結後に経済成長し、政治力を内外に誇示するようになった。やがて「一帯一路」政策で欧州にまでつながる経済連携体制を作ろうとし、様々な分野で米国との対立が顕著になっている。 とくに二〇二〇年は国際社会も大きな変動を迎えた。コロナ禍は世界中で人々の日常生活の行動を制限し変容させ、既存の価値観の見直しを突き付けた。政治では米国大統領の選挙運動、中国の周辺諸国・諸地域への圧力、予期せぬ時期に国内で首相交代。このようななかで日米の緊密な関係は今までと同様に、「これからも大丈夫だ」といえるのだろうか。著者の憂慮はここにある。 そもそも「日米安保」に代わって、「日米同盟」という言葉が広く使われるようになって久しい。冷戦終結により日米共通の敵ソ連が瓦解し、米国にとって憂慮すべき国は、経済力ある日本であった。日米貿易摩擦での交渉は、七〇年代以来常にそれぞれの内政事情や民間の景気情勢を抱え込んで、軍事外交のように為政者間の交渉と「同盟関係」の常套句では決着しない。しかしベトナム戦争での国力低下や日米貿易戦争のなかでも、西側諸国の雄として、米国民は長年「やせがまん」を強いられてきた。トランプ政権下の政策はそれらの反動ともいえる。故に著者は、経済や民間の人やモノの交流が、両国民の日常生活に密着しつつ難題について交渉を続けてきたからこそ、「日米同盟」は確実ではないと警鐘を鳴らす。米国がそれまでの一貫した理念を変えるなら、日本はそれをどう理解し、「日米同盟」や日本外交を進めていくのか。 あわせて著者は「日本のビジョン」とは何かと改めて問う。この問いに、評者は玉ねぎの皮をむくような虚無感にも似た気持ちに襲われた。すなわち戦前日本外交について語られてきたいわゆる「理念なき日本外交」の「伝統」が、実は戦後も冷戦終結後も、脈々と続いていたのではないかとさえ思われたからである。 少なくとも六〇年安保、七〇年安保による国内の混乱のなかでも、日本人にとって米国社会は豊かさへの憧憬の対象だった。この時代に多感な時期を過ごした著者は、一九七一年初めて米国に渡り、バス旅行の学生にはマクドナルドのハンバーガーは高すぎた、という強烈な訪米体験を持つ。まもなくジャーナリストとなった著者は、国際社会が動く外交の現場や同時期の赴任先の都市から巷の取材から、時代の証言者となる。本書は、読者をタイムスリップさせるように、オーラル・ヒストリーなどを随所に織り込み、過去にも類似するような齟齬や難題があったと、現代の日米関係への連環を興味深く読者に伝えてくれる。 さて、日本は米中対立の間で、あるいは国際社会のなかで、これからどのような位置に立とうとしているのだろう。まずは、「日米同盟」を信奉したい日本国内リーダーと米国リーダーたちの間に、今現在、人間的な信頼関係の土台は築けているのか、米国リーダーたちや米国の人々は、日本をどう理解しているのだろうか。それらを考えるための手がかりを与えてくれるのが著者の経験である。そして米国大統領選挙がどのような結果になるとしても、本書は多くの人々にとって日本のこれからの進み方と日米関係を考えるための道標となろう。(いいもり・あきこ=亜細亜大学講師・日本外交史)★あさみ・たもつ=ジャーナリスト。読売新聞東京本社編集局長、順天堂大学特任教授などを歴任。一九四七年生。