――差別に耐えながら自己を守り抜いた、四代に渡る生のリレー――長瀬海 / ライター・書評家週刊読書人2020年9月25日号パチンコ 上著 者:ミン・ジン・リー出版社:文藝春秋ISBN13:978-4-16-391225-7「日本は、こちらがどんなに愛しても自分を愛してくれない継母(ままはは)に似ていた。」物語に登場する在日コリアンたちのうちのひとりが心のなかで呟く。差別と侮蔑を生み出す悪感情がとぐろを巻きながら、じぃっと睨みつけてくる。その視線に絶えず晒されなければならない苦しみは、同質性の高い日本の内部で、行き場をなくし、諦念に変わる。米国でベストセラーとなったこの小説は、それでも生きなければならない人々の生のエネルギーを活写している。 物語は一九一〇年の朝鮮半島から始まる。釜山の影島で下宿を営んでいる漁師の息子のもとにヤンジンという女性が嫁いでくる。二人の子ども、ソンジャは、夫を亡くした母を支えるために、下宿の切り盛りを手伝う。だが、ハンスというヤクザと恋に落ちてしまった彼女は、お腹に子を宿した。ひとりで子どもを育てようとするソンジャの前に現れたのが、イサクという病弱なキリスト教徒だ。彼はじぶんの命を助けてくれた彼女と結婚し、ともに日本で新しい人生を歩むことに決めるのだった。 日本に移り住んだソンジャは、イサクと、その兄夫妻とともに共同生活を始める。彼女はハンスの血を引くノア、それからイサクとの間にできたモーザスといった男の子たちを産み、貧しいながらも異国の地で逞しく生きていた。けれど、彼女の周囲を亡霊のように付き纏う男がいる。ハンスだ。貧困と戦争の激化を生き延びなければならない彼女たちは、ハンスの汚れた手を借りざるを得なかった。戦時下における移民のよるべなさに肉薄する物語は、安寧を失った社会でマイノリティが家族のためだけに明日を作ろうとするときに放つ、強靭な生の意思を読者に伝えるのだ。 焦土となった日本で、彼女たちは懸命に働き、子どもを育てた。彼らはいじめに合いながらも、屈することなく、勇敢な大人へと成長する。しかし、早稲田大学に入学したノアは自らの血の秘密を知り、家族の前から姿を消す。一方で、日本の社会で溢れものとなっていたモーザスはパチンコ店に職を見つけると、労働に生きがいを感じ始め、成功を収めていく。生まれた国で爪弾きにされても、じぶんが作った居場所を守り続ける。「日本は自分たちを煙たがっているかもしれないが、だから何だ?」国民という概念に縛られることなく、人生を歩く彼の足取りは実に勇ましい。 人生をコントロール不可能なパチンコに例えるこの物語のバトンは、平成最初の年に至り、モーザスの息子、ソロモンに受け継がれる。差別に耐えながら自己を守り抜いた彼女たちの、四代に渡る生のリレーは、日本という空間で膨張する排除の空気圧に負けない人間を見事に描き切った。小説のスタイルは三人称多元だ。しかし、在日コリアンや善良な日本人の心中を映すものの、移民に不寛容な人々の内面には迫らない。だからこそ、私たちは、物語の背後にいる名前を持たない日本人について、今一度、考えなければならないのだ。 確かに、「現代思想」(二〇二〇年九月臨時増刊号)で逆井聡人が指摘するように、在日朝鮮人文学研究者からすれば、李恢成などが登場しない本作は在日朝鮮人運動への言及が足りず、不満が出るのかもしれない。しかし、私は、そういった批判は小説に大した傷をつけないと考える。この作品は、多様性が叫ばれれば叫ばれるほど、その反動で、排除のシステムが駆動する現在にあって、世界が必要とするいまの物語なのだから。圧力に屈せず戦後を生き抜いた彼女たちの声は私たちに強く響く、届く。(池田真紀子訳)(ながせ・かい=ライター・書評家)★ミン・ジン・リー=作家・弁護士。韓国ソウル生れ。一九七六年に家族とともにニューヨークに移住。二〇〇七年のデビュー作、Free Food for Millionairesはイギリスのタイムズ紙で同年のベスト10に。二作目の本作は、各紙絶賛を受け、全米図書賞の最終候補作となる。