――似ているようで別の物語を生きる私たちに突きつけられるもの――八木寧子 / 文芸批評週刊読書人2021年8月20日号二度の自画像著 者:チョン・ソンテ出版社:東京外国語大学出版会ISBN13:978-4-904575-88-8 ぎっしりと言葉が詰まり小型の辞書ほどの質量を湛える小説集だ。開催が賛否されていたスポーツの祭典で、様々な競技で対戦する隣国選手の顔つきを見て、これほど近しいのに彼我の間に厳然と存在する「境界」は一体何かと、改めて考えながらページをめくった日々だった。 チョン・ソンテ(全成太)は一九六九年韓国生まれ。作家業二十年余に及ぶベテランだが、日本でこれまでに読めたのは本書に収められた「遠足」のみ。元来寡作で、デビュー後に出版されたのは短編集四作、長編一作。したがって、日本の読者がこの作者に出会うのは、評者も含めてこの『二度の自画像』がほぼ初めてとなるだろう。表題作はなく、題は作家自身が「決算」として改めてつけたもの。ここに至るまでの訳者と出版社の労は計り知れない。『82年生まれ、キム・ジヨン』など韓国文学の多くがフェミニズムの文脈で読まされる傾向にあって、本書の作品群がそれらとは全く異なる位相にあることはすぐにわかる。しかもこの十二編には、穏やかな語り口とは裏腹に、安易な「共感」を拒む気配がある。ことに評者は作者とほぼ同年代だが、まったく異なる価値観、時代背景、言語体系によって生きてきたことをまざまざと突きつけられ、打ちのめされた。 一般的な中流家庭の一見のどかな休日を描きながら、不機嫌な妻と隠れアル中の夫の齟齬が不穏に漂う「遠足」にはじまり、セックスワーカーの母に寄り添う娘の冷静な心情を淡々とスクリプトする「釣りをする少女」、ややいかがわしいバイヤー師弟が地方生活者たちのしたたかさに狼狽する落語のような滑稽譚「えさ茶碗」などには、社会の相似を探ることが辛うじて可能だ。 だが、中盤の「『労働新聞』」「墓参」「望郷の家」のベースには分断された南北(朝鮮半島)という歴史的経緯による実情が横たわっており、国家によって引かれた境界線に翻弄されてきた一個の「生」、老人たちの悲哀と猜疑、諦観を描いて切実だ。 さらに、大規模な反政府蜂起が武力によって鎮圧され多数の犠牲者を出した光州事件をモチーフとした「白菊を抱いて」「消された風景」は、その全容を知らぬ私たちに、事件が遺した消し難い瘢痕を、別の形で差し出してくる。 実家が光州ながら「殺戮」を直に経験したわけではない若き女性教師。彼女は、事件の犠牲者である青年の墓を「追悼」の印とし彼を疑似的に思慕することで自身にのしかかる悪夢を宥めようとする。だが、彼が町の有力者の娘と「死後結婚」させられると聞き、複雑な心境に陥る。その娘も亡者だが、そこで重んじられるのは為政者たちの体面であり、女性教師は憂鬱を拭えないままその地を去る。それは、事件に巻き込まれて死んだ幼い娘の幻影を引きずる老いた父とその息子を描く「消された風景」の、何十年経ても寛解されない喪失の記憶と悔恨に繫がり、事件が人びとにいまなお濃い影を落としている事実を如実に示す。 認知症を患った作家自身の母の記憶をエッセイ風に綴った巻末の「物語をお返しします」とその前の「桜の木の上で」以外はすべて第三者の視点で描かれる。その語りの距離感は逆に彼我の「境界」を一瞬無化する作用をもち、時に温かな連帯を誘う。だが私たちが「共感」を抱くのは錯覚ではないか。徹底した観察者としての作家の底にあるジャーナリズム、真摯に歴史を記述しようとする矜持にどこまで肉薄できるか。おそらく作家は、純粋に物語として読まれることを望んでいるに違いないのだが。 人間という生き物が特定の「場」に必然や偶然を重ねようとする一方、ただそこに根を張って泰然と立つ樹木が各編に登場するのも印象的だ。メタセコイア、桐、榎、無花果、桜……。それらに何らかのメタファーを見出そうとするのは深読みだろうか。 ひとつひとつは小さなエピソードであり、描かれるのは社会の一隅で生きる者たちの営みである。バラエティ豊かな掛け合いの妙。愛情。孤独。さまざまな「境界」と、さまざまに手繰り寄せられる「記憶」。個人の、そして社会の「老い」。死者たちの声……。モチーフは普遍的だが、私たちのよく知るものとは何かが異なっている。「小説は記憶の産物」として、「ひとつの社会から取りこぼされてしまった存在と、その価値を呼び起こす」べく言葉と対峙してきた作家と、渾身の訳出を成した訳者に訊ねてみたい。似ているようで別の物語を生きる私たちはどう見えているか。この先、どう「連帯」していけばよいのか、と。(吉良佳奈江訳)(やぎ・やすこ=文芸批評)★チョン・ソンテ=作家。韓国全羅南道高興郡生れ。国立順天大学文芸創作科教授。本書は作家の四作目の短篇集にあたり、収録作「釣りをする少女」で現代文学賞、短編集として李孝石文学賞、韓国日報文学賞を受賞。一九六九年生。