――ライプニッツ解釈の流れの中での新しい潮流に注目――山内志朗 / 慶應義塾大学教授・中世哲学週刊読書人2021年7月23日号ライプニッツの正義論著 者:酒井潔出版社:法政大学出版局ISBN13:978-4-588-15115-6 正義という概念は抽象度の高い概念なので、盛んに使用されながら具体性を持ちにくい概念だ。ロールズの『正義論』も名著であり、具体的な提言を含みながらも、抽象度が高い。ライプニッツ(一六四六~一七一六)の正義論はどうだったのか。 ライプニッツに関する研究書は膨大に存在するのだが、彼の政治哲学や倫理学といった実践的学問についての研究書は数少ない。理由のないことではない。ライプニッツは合理主義に属する哲学者と見なされてきた。そのため、汎論理主義的解釈が主流であり、実践的領野に関する研究はずっと少なかった。本書は、そういったライプニッツ解釈の流れの中での新しい潮流に注目する。論理学に対する倫理学の優位という視点である。 ライプニッツは、哲学者として有名であり、活躍の範囲はほとんど全領域に及ぶが、彼の活動の中心は法学と政治学であったのである。 ルイ一四世のオランダ侵攻を止めるべく、エジプト計画を献策するためパリに赴く任務を担うなど、リアルポリティクスに関わっていた。ハノーファーの宮廷に長く仕え、英独仏伊どころか、ロシアとの関係の中でも縦横無尽に活躍した人物であった。君主の不興をかって、歴史書編纂の業務に向かわされることはあったが、政治の中で生きた人物であり、哲学は彼の趣味ともいえた。 本書の構成は以下の通り。第Ⅰ部 ライプニッツにおける「慈愛」と「共通善」、第Ⅱ部 ライプニッツ正義論の共同体論的性格、第Ⅲ部 一七世紀正義論との対決、第Ⅳ部 ライプニッツの「正義」概念、第Ⅴ部 ライプニッツにおける神学。 本書の出発点となるのは、「正義とは賢者の慈愛である」という正義の定義である。一般に正義は、「目には目を、歯には歯を」という報復か、公平平等を基本原理とするものが多い。均衡状態が正義なのだ。そういった正義は普遍性を持っているが、現実への適用においては空文化することも多い。 ライプニッツの考える正義は、アリストテレスの正義論、つまり交換的正義、配分的正義、普遍的正義への分類を出発点とするものとは異なっている。ライプニッツにとって正義とは「人間の幸福、社会の利益、神の名誉」なのだ。 ライプニッツは若い頃から法学者を目指していた。その際、ホッブズから政治哲学を積極的に受容したが、批判的な態度を培い、それをその後の基本的思想軸に据えたのである。 ライプニッツの思想には共同体論的な性格が強く見られる。本書はそれを明確に打ち出している。ホッブズの政治哲学から影響を受けながらも、ホッブズにおける個人の主観的意志を基準の審級として用いること、つまりホッブズの主意主義的側面に対して批判を向ける。ライプニッツにおいて、統治の最高基準は理性であり、人々は賢者の認識に従おうとする。本書は、この側面を明確に取り出し、ライプニッツの正義論の中核を見事に開示している。 ライプニッツの人柄については、あまり言及されてこなかったが、プーフェンドルフへの評価にそれが如実に表れていて、それはとても興味深い。プーフェンドルフは表面的で、軽薄で、迎合的で、剽窃で食っている著作家でしかない、という悪意に満ちた評価をライプニッツ研究者が持ち続けていたことは面白い。ライプニッツ自身の徹底的低評価に由来するようだ。プーフェンドルフの後任として職に就き、その給料がプーフェンドルフの半額だったのだから怒り心頭になるのは当然である。 著者である、酒井潔氏は、最近まで長く日本ライプニッツ協会の会長を務めてこられた。日本におけるライプニッツ研究の先頭を切り、国際ライプニッツ協会にも参加され、日本の若手研究者をその場に送り込んできた。酒井氏はライプニッツについての単著は既に三冊、他に二冊の編著、ライプニッツ著作集の編集にも深くかかわり、翻訳も多数なされている。ライプニッツの多面的活動の中で取り残されてきた実践的哲学の領域が本書でカバーされることとなった。慶賀すべきことである。(やまうち・しろう=慶應義塾大学教授・中世哲学)★さかい・きよし=学習院大学教授・哲学。京都大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。著書に『世界と自我』『自我の哲学史』など。一九五〇年生。