学問の健全な発展に不可欠なチェック機構とは 吉川浩満/ 文筆家週刊読書人2022年3月25日号 すばらしきアカデミックワールド オモシロ論文ではじめる心理学研究著 者:越智啓太出版社:北大路書房ISBN13:978-4-7628-3177-5 あまりにも些細な、あるいは素朴な(と思える)ことに人生の貴重な時間を費やしている研究者たちの珍論文をおもしろおかしく紹介した本に、学者芸人・サンキュータツオ氏による『ヘンな論文』『もっとヘンな論文』(角川文庫)がある。 今回、その心理学版とでもいうべき一冊が登場した。著者は本職の心理学者・越智啓太氏である。氏は警視庁科学捜査研究所研究員などを経て、現在法政大学文学部心理学科教授。専門はプロファイリングや虚偽検出などの犯罪捜査への心理学の応用である。その一方で、素朴なオモシロ研究を愛し、さまざまな論文を密かに読み進めてきたという。また、これらの研究を追試することを生きがいにしているとの由。その密かな生きがいの成果が本書である。 目次を眺めるだけで期待がふくらむ。「あなたは自分で思っているより魅力的でない」「赤いユニフォームの選手は勝ちやすい」「絵文字を使うやつはエロい」「キリストは右側を向いて磔にされやすい」「ホラー映画マニアはパンデミックに対する耐性が高い」等々。 評者のツボにはまったのは、カリフォルニア大学リバーサイド校のエリック・シュヴィッツゲーベル氏による「倫理学者は図書館の本を盗みやすい」論文である。英米の図書館データベースを利用して、倫理学者くらいしか借りる者はいないだろうという専門的、あるいは古典的な倫理学書の紛失状況を調べたところ、倫理学書の紛失率は非倫理学書のそれの一・五倍から二倍であったというのだ。彼らは自分が倫理を守れないからこそ、倫理学を研究しているのかもしれない。 とはいえ、即断は禁物である。シュヴィッツゲーベル氏は、倫理学者が非倫理的であるかどうかをさまざまな角度から調べている。たとえば参加費の支払いが強制ではなく自己申告制の学会において、倫理学者がほかの分野の哲学者と比べて参加費を支払わない傾向にあるかどうかを調べたところ、有意な差はなかった。あるいは、学会のシンポジウムにおいて非倫理的な行動―― 発表中の私語、ゴミの放置など――を調べたところ、とくに倫理学関連のシンポジウムにおいて参加者のマナーが悪いわけではないことがわかった。さらに、倫理学者は学生からのメールに返事を出さない傾向にあるのではないかという仮説を検証するために、実際に教授に偽のメールを出してみて反応を調べたところ、倫理学の教授とそれ以外の分野を専攻する教授の間にメール返信率の差はなかった。つまり、理学者の非倫理性についての結論はまだ出ていないということだ。なにはともあれ、倫理学者の非倫理性にかけるシュヴィッツゲーベル氏の情熱に打たれる。 本書を読んで興味深く感じるのは、学問(科学)研究の専門分化が進み、重箱の隅をつつくような味気ない研究ばかりだという嘆きも聞こえてくるこのご時世に、これら素朴な人間観察からスタートしたような研究がまだまだ続けられているということである。それだけではない。当然これらの研究も学問(科学)の作法に則っているために、その結論は論文執筆者自身やほかの研究者によって学問的(科学的)に再テストされる。その結果、まだまだ結論は出ていないと判断されるケースが散見されることになる。つまり、いかにおもしろい、あるいは俗耳に入りやすい結論が得られたとしても、学問的(科学的)な基準からみてそれが妥当であるかは別問題だということである。真理(心理?)への道は険しく遠い……。 ところで、二〇一〇年代以降、心理学や行動経済学の分野を中心に「再現性の危機」――多くの科学実験の結果が実際のところ再現困難あるいは不可能であるという問題――が指摘されている。オモシロ論文を、単におもしろがってばかりもいられないのではないかという懸念を抱く向きもあるかもしれない。本書でも、金さえ払えばどんな内容でも掲載されるという「はげたかジャーナル」について注意喚起がなされている。だが、得られた知見をチェックする機構を備えているところが学問(科学)の美点である。近年の「再現性の危機」もそのチェック機構が働いた証左であり、学問(科学)の健全な発展プロセスの一環だと考えることができる。先に挙げたシュヴィッツゲーベル氏や本書の著者のように、粛々とチェックしていくことくことが大事なのだろう。紹介されているオモシロ論文にはリファレンス情報も掲載されているので、読者も追試に挑戦してみてはどうだろうか(多くはネットで無料ダウンロードできる)。(よしかわ・ひろみつ=文筆家)★おち・けいた=法政大学文学部心理学科教授・臨床心理士・プロファイリング・犯罪捜査への心理学の応用。一九六五年生。