過去を学ぶ意味を問いかける一冊 布施祐仁 / ジャーナリスト週刊読書人2022年2月4日号 朝鮮戦争と日本人 武蔵野と朝鮮人著 者:五郎丸聖子出版社:クレインISBN13:978-4-906681-60-0 「朝鮮戦争は戦後日本のあり方を規定したと言えるほどの出来事であった。にもかかわらず、なぜ、日本社会では朝鮮戦争は忘れられたかのような扱いをされてきたのだろう」(「はじめに」より) 本書は、著者のこの問いから始まる。 私も、このことをずっと疑問に思っていた。 今の日本の国のかたちを決めていると言っても過言ではない日米安保体制(日米同盟)は、朝鮮戦争の中で生み出されたものである。 朝鮮戦争中、アメリカは日本の土地、人、生産力をフルに活用して戦った。これは日本を占領していたからこそできたことであったが、占領終結後も、日本を「戦争の道具」「世界支配の道具」として丸ごと利用する特権を手放そうとしなかった。朝鮮戦争が続いていることを理由にして、日本にそれを認めさせた。そうして結ばれたのが、日米安保条約であった。 現在、日米安保条約と日米地位協定の下で米軍に広範な特権が与えられ、日本の主権が大きく損なわれているのも、朝鮮戦争がいまだに正式な終戦に至っていないことと無関係ではない。 七カ所の在日米軍基地は今も朝鮮国連軍の基地に指定され、東京の横田基地には朝鮮国連軍の後方司令部も置かれている。朝鮮戦争の休戦協定が破られて再び戦争になった場合、いつでも動き出せるような態勢が敷かれているのである。 昔も今もこれだけ日本に深く関わる戦争なのに、なぜか朝鮮戦争は忘れられたかのような扱いをされてきた。二〇二〇年六月に朝鮮戦争の開戦から七〇年を迎えた時も、関連報道は驚くほど少なかった。 本書の著者は、朝鮮半島との関係を通して戦後日本の歴史研究を行う在野の研究者だが、かつては朝鮮戦争について、「特需」で日本の経済が復活したという程度の認識しかなかったという(私自身もかつては、そうだった。学校の教科書にも、その程度のことしか書いていなかったような気がする)。しかし、朝鮮戦争で米軍の人員や物資の輸送業務に動員された経験を持つ元船員との出会いをきっかけに、「忘却された歴史」を知ることとなる。 元船員から多くのことを学んだ著者は、こう記す。「ときに国家は不都合な出来事の隠蔽に躍起になる。なかったことにしていれば、そのうち人びとは忘却すると考えるのだろう。だが絶対に忘れてはならないと伝え残すことを願うのも人びとだ。耳をすませば、目を凝らせば、『小さな歴史』の声や痕跡は実はいたるところにある」 著者は、元船員のほか、朝鮮戦争の休戦会談を取材した日本人記者、朝鮮民主主義人民共和国への「帰国事業」に関わった人びと、著者が暮らす武蔵野市で戦中から戦後に生きた在日朝鮮人の人びとの「小さな歴史」を辿り、教科書に記されているような「大きな歴史」からはこぼれ落ちた事実を拾い上げる。 そして、この本は事実を拾い上げるところで終わらない。「小さな歴史」に向き合うとは、その個人に向き合うことを意味する。「~年に~が起きた」という「事象」としてではなく、「人間」に向き合うのだ。著者は、一人ひとりのことを想像し、自分に引き付けて自問自答する。「『小さな歴史』の声や痕跡から自分が何を感じたのか、何を思ったのか、そのような自問自答とともに過去の体験や過去の出来事を捉えていくこと、こうした迂遠ともいえるプロセスが理不尽なことを繰り返さないためには大切なことなのではないだろうか」と著者は言う。 本書は、日本人が忘却してしまったかのように見える朝鮮に関わる重要な近現代史を伝えるとともに、私たちが過去の歴史を学ぶ意味を深く問いかけている。(ふせ・ゆうじん=ジャーナリスト)★ごろうまる・きよこ=朝鮮に関する認識や植民地支配の責任意識の表出を主題に、朝鮮半島との関係を通して戦後日本の歴史研究を行う。フリーランスで校正などの仕事をしながら研究を続けている。