――ヘビーな現実を生きる親世代と娘世代の対比――三宅香帆 / 書評家週刊読書人2021年11月5日号サワー・ハート著 者:ジェニー・ザン出版社:河出書房新社ISBN13:978-4-309-20837-4 辛い経験を吐露することは難しい。それが他人に共感してもらいづらい経験なら、なおさらだ。ましてやその相手が家族となると、余計に困難であることは想像に難くない。『サワー・ハート』は、詩人やエッセイストとして活動していた中国系アメリカ人であるジェニー・ザンの初の短編集。 物語の主人公は、中国からアメリカに移住した移民二世の少女たちだ。しかし描かれるのは、少女の生活だけでなく、少女の両親世代が経験した移住の苦しみや、中国での悲惨な経験でもある。九〇年代の中国という、ヘビーな運命を背負わざるをえなかった場所で過ごした家族の記憶が語られる。とくに貧乏な生活の細かい描写は、読者としては「ここまで書くか」とのけぞってしまいそうになる。 しかし本書の魅力は、ただヘビーな現実を描くにとどまっていないところだ。どの短編も共通して、主人公の家族が経験する厳しい現実を、ある種のポップさをもって、あけすけに描いているのである。 両親の世代が経験した文化大革命や、アメリカ移住生活。それはあまりに厳しい貧困や、理不尽な運命のなかにあった。 主人公の母親は、こんな台詞を吐く。「私は本当は映画を作り続けるはずだったのに、間違った時代に生まれたんだ。私が一緒に育った素晴らしい人たちがどうなったか知ってる? みんな刑務所行きだよ。拷問されたんだ。重労働の刑を課せられて、死ぬまで働かされた」(「母以前の母」収録)私たち読者は、こんなことを言われては問答無用で彼女に同情してしまう。なんてつらい経験をしたのだろう、と。 しかしこの小説は、そこで終わることを許さない。なぜならアメリカに住むティーンエイジャーである少女にとって、そんな両親の苦悩は知ったこっちゃないからだ。本書の語り手は、あくまで子ども世代の少女である。自分の想いや痛みを抑圧しない、パワーに満ち溢れた少女は、そんな母親世代の苦悩を、理解しようとするがしかし理解できないものとしてとらえる。 この、親世代の切実で苦悩に満ちた言葉と、娘世代の感情を抑えない刺激的な物言いの対比が、本書の絶妙な塩梅を生み出している。もちろん扱われている題材は、家族の苦しい傷やトラウマだ。しかしそれを語る少女のある種の明るさによって、小説全体はポップな印象を与えるのだ。読者をどきりとさせるパワーワードが頻繁に登場するのも、魅力のひとつである。 同じ家に住む家族であっても、自分の辛い経験をわかってもらうのは難しい。あまりに悲惨で苦しい経験をしたとき、どうしてもそれを抑圧したり、逆に誰かにぶつけたかったりして、うまく語ることができないことのほうが多い。自分でも消化しきれない傷について、人はなかなか他人にわかってもらえるように語ることができないのかもしれない。しかし本書に登場する少女たちは、両親たちの傷、そして彼女たちの傷について、「そんな抑圧、必要⁉」と叫ぶかのように、あけすけに言葉を操る。自分たちの貧困や理不尽な経験について、辛い経験を、あくまでポップに、怒りをもって、語る。それはときに親世代との摩擦を生むこともあるが、しかしその語り口自体に読者は希望を見出したくなる。 小説で、あまりに強烈な辛い経験を語ることもまた、本当だったら難しいのだと思う。あまりにお涙頂戴になっても読者は離れてしまうし、しかし抑圧しすぎて伝わらなければ意味がない。しかしそんな難しさを吹っ飛ばすかのように、少女たちは、叫ぶ。自分たちはこのような経験をしたのだ、と。その叫びこそが、本書を、単なる中国系アメリカ人の物語という要素を超えた、もっと普遍的な、〈傷〉について語る小説にしているのだ。(小澤身和子訳)(みやけ・かほ=書評家)★ジェニー・ザン=ニューヨーク在住の詩人・作家。中国系アメリカ人移民としてのアイデンティティーや経験を主なテーマに執筆活動を続け、注目を集めている。一九八三年、上海生まれ。