――暗部を照らした写真家が逆照射するもの――綿井健陽 / ジャーナリスト週刊読書人2021年9月24日号慟哭の日本戦後史 ある報道写真家の六十年著 者:樋口健二出版社:こぶし書房ISBN13:978-4-87559-365-2 今から一〇年前に福島第一原発事故が起きた直後、それまで長年に渡って原発の危険性を訴え続けてきた研究者やジャーナリストたちが、脚光を浴びるようになった。樋口健二もその一人だろう。樋口は特に、知られざる原発労働者の実態をずっと追ってきた報道写真家として、世界各国のメディアでも何度も紹介された。 樋口は原発労働者だけではなく、一九六〇年代にぜんそく被害が起きた四日市(三重)をはじめ、旧日本軍の毒ガス製造工場があった大久野島(広島)など、六〇年に渡って日本各地で取材を続けてきた。「私のような企業悪や国家悪を追求するフォトドキュメンタリーは日本の経済成長の高揚と同時に、だれからも相手にされないような雰囲気が漂っていた」と、振り返っているところが印象的だ。 私が樋口健二と直接話したのは、福島第一原発事故から一年後の二〇一二年のことだった。当時、ニコンサロンで開催予定だった韓国人写真家・安世鴻(アン・セホン)の元「慰安婦」写真展が、ニコンから急遽中止通告された。それに対して、有志のジャーナリストやメディア関係者らの間で抗議声明を出そうとしたとき、樋口は早くから抗議の意思を示して声を上げていた。 一方、日本の著名写真家の多くが、ニコンからの後援や協賛の関係性を優先して、この問題に対して沈黙していた。公益社団法人「日本写真家協会」も、声明やコメントを一切出さないという対応だった。それらのことを私が樋口に電話で嘆くと、「まったく、こういう抗議はやろうとする人たちで進めるしかない」と静かに怒りつつ、抗議声明の呼びかけ人の先頭に立っていた。 あのときなぜ、樋口は他の多くの写真家と違って、抗議の声を上げ続けたのか。樋口もまた、それまで出版拒否やニコンサロンなどのギャラリーで展示を拒まれてきたことが本書で記されている。 発表機会や媒体を失うことは、写真家にとって腕をもがれるような痛みだが、それらを自らも肌で知る樋口は、いわば社会の中で心身をもがれるような痛みを抱える「弱者」を撮り続けてきた。それはいまメディアの中で頻繁に使われるフレーズ「寄り添う」「密着」「見つめる」とも異なる姿勢だ。自らも少数派の側にずっと居て、そこに立ち続け、そして強者を告発する。 樋口のような生き方を貫徹することは容易ではない。だが、彼の写真を撮る姿勢は、誰でもいつからでもどんな場所でも、後ろから追いかけることはできる。その先に何を知ることができるかは、樋口の数々の写真群が教えてくれている。 日本の戦後史の暗部で犠牲になる人たちを静かに照らし続けてきた一人の写真家は、「人間の健康をかえりみないお粗末な人間に、国のリーダーシップをまかせることはできない」という。樋口のその言葉は、いまコロナ禍で切り捨てられる人たちから、日本の政治責任を逆照射しているのではないか。(敬称略)(わたい・たけはる=ジャーナリスト)★ひぐち・けんじ=報道写真家。日本写真芸術専門学校副校長・日本写真家協会会員。著書、写真集に『原発崩壊 樋口健二写真集』『新版 四日市 YOKKAICHI写真集』『忘れられた皇軍兵士たち』など。一九三七年生。