――「消せども消せどもある」ものをめぐる言葉の集積庫――北小路隆志 / 京都芸術大学教授・映画批評週刊読書人2021年9月10日号きみが死んだあとで著 者:代島治彦出版社:晶文社ISBN13:978-4-7949-7269-9 一九六七年一〇月八日、いわゆる新左翼の学生各派が、ベトナム戦争反対の立場から総理大臣の南ベトナム訪問を阻止すべく羽田空港周辺に集結、機動隊らとのあいだで激しい衝突が起こる。本書のタイトルにある「きみ」は、その闘争の渦中に一八歳の若さで命を落とした山﨑博昭を直接的には指し、同名のドキュメンタリー映画も公開されたばかりだ。 唐突に終わりを告げた山﨑の短い人生を振り返る兄、勉強がよくでき、社会の歪みに鋭敏に反応する若者だったと回顧する高校時代の同級生たち、政治活動において山﨑の近傍に属し、当日の羽田に居合わせるなどした人々……。尺や構成の問題から映画ではカットせざるを得なかった部分も含め、さまざまな貴重な証言をその「書籍化」である本書で網羅的に読むことができるが、新たに付け加えられた読みどころはそれだけではない。監督を務めた代島治彦が、あの時代に関わる自身の「記憶」を「ぼくの話」として綴る。そこで前面に出るのが、六〇年代後半に二〇歳前後の年齢を迎えた「団塊の世代」――本書の登場人物はほぼ全員この世代だ――をめぐる、彼らから一〇年ほど後に生まれた「遅れてきた青年」の立場からの「世代論」である。 事件から半世紀を経て鎮魂碑が現場付近に建てられる際、山﨑の高校の同級生だった詩人の佐々木幹郎さんから建碑式の撮影を頼まれたことがきっかけだった。カメラを回す代島の胸にこんな感慨が去来したという。「建碑式を撮影しながら、ぼくは微かな疎外感を覚えていた。当然のことながら、ぼくは「わたしたち」ではなかった。建碑式の撮影者であり、部外者である。ぼくのような部外者まで巻き込める、追悼の方法はないものだろうか、と考えこんだ」。追悼の映画であり書籍であろうとすること……。 フロイトは「喪の作業」について以下のように書いている。「喪は通例、愛された人物や、そうした人物の位置へと置き移された祖国、自由、理想などの抽象物を喪失したことに対する反応である」(「喪とメランコリー」伊藤正博訳)。この本に登場する人々にとって大切な誰かを喪うことは、その誰かと共有していたはずの「自由」や「理想」といった「抽象物」の喪失を同時に意味した。本書で輪郭づけられる「世代」とは、若き日に熱く「理想」を語り、「自由」を求めて行動した世代である以上に、その何倍もの長い時間を生き延び、二重の意味での「喪の作業」を継続せざるを得なかった世代である。たとえば、山﨑と同じ高校に通った作家の三田誠広さんは、「お祭りのあとの寂しさ」、「傷み」のあとにくる「虚しさの持続」のなかで「自分の生きる場所を見つけて、それぞれの人がその後を生きてきた」と自らの世代を語る。 集団と個の矛盾や葛藤が繰り返し語られる。語り手の多くが若き日に身を投じることになった(彼らの一人によれば「ツリー」状の)「組織」の一員として戦うことの栄光や昂揚とそこへの疑念、離脱といった過程がその典型である。彼らにとって「きみが死んだあと」を生き延びることとは、「「われら(組織)」から「われ(個)」を切り離し、それぞれの生き方を模索」することだったのではないか……と代島は推測するが、にもかかわらず、「世代」のもとに彼らは「われら」であり続ける。この本で提起される「世代論」に関心をそそられるのは、ここでの「世代」が、「組織」と異なる集団性、「組織」と「個」の狭間に広がる集団性に与えられた名称であるように思えるからだ。「虚しさの持続」を生きるうちにも彼らの証言はどこか快活であり、それが一頁一頁を大切に読みたくさせる所以である。「消せども消せどもあるっていうのが嫌なんですよね」。かつて「10・8羽田闘争」に参加し、現在は古本屋を営む島元健作さんの本筋(?)とは関係なさげな言葉がなぜか心に響く。「買い取った本の書き込みが鉛筆だと消しゴムでひとつひとつ消していく。これも仕事だけど、こんなにいっぱいあると本には線を引いちゃいけないっていう法律を作ってもらいたいくらいですよ」。自分にとってむしろ重要な本であるからこそ鉛筆で線を引いたり、書き込みをしたりの悪癖がある僕には身につまされもする、この快活な笑いを孕む言葉も意義深い。「きみ」の死はいくら消しゴムで擦っても消滅しない傷跡であり、本書は「消せども消せどもある」ものをめぐる言葉の集積庫なのである。大阪の実家近くにある山﨑博昭の墓石には「知秀院釈深解」と刻まれ、「世の中のことを深く理解しようとした若者」という意味だそうだ。これがすべてを言い表している……と思わず線を引きたくなった。(きたこうじ・たかし=京都芸術大学教授・映画批評)★だいしま・はるひこ=映画監督。映画作品に『三里塚のイカロス』など。著書に『ミニシアター巡礼』など。一九五八年生。