――役者四代目市川小団次のもうひとつの顔――寺田詩麻 / 龍谷大学文学部准教授・日本近世近代演劇週刊読書人2021年3月19日号江戸の黙阿弥 善人を描く著 者:埋忠美沙出版社:春風社ISBN13:978-4-86110-706-1 本書の研究対象は、江戸時代後期から明治中期の江戸・東京で活躍した、歌舞伎の狂言作者・河竹黙阿弥の幕末期の作品、およびその主演をつとめた役者・四代目市川小団次である。本書の特色は二点ある。一つは幕末期の黙阿弥作品における「悪の美」以外の特徴に着目したこと、もう一つは上演前後に描かれた絵画資料、とくに合巻の挿絵も含めた浮世絵版画を積極的に活用していることである。 黙阿弥が関与した作品は生涯で三百六十作にも及ぶといわれる。しかも幕末期の作品の多くは、見せ場の幕だけ抽出して他の作品と併演する「見取り上演」も含めて、現在に至るまでとぎれなく再演され続け、歌舞伎という演劇の主要な作品とも見なされている。もちろんそれは、原則として当時の歌舞伎の作品が単独作ではなく、複数の作者が分担執筆してリーダーの立作者がまとめるものであり、また、作品の筋立てが座元(劇場の経営代表者)、金主(出資者)、役者などの意向を汲みつつ決定されるものであったからこそ可能だった。言い換えれば、ある作品のどこまでを「黙阿弥のもの」として分析するか、決定するのは実は容易ではない。 また黙阿弥の死後は、娘・糸、その養子・繁俊、繁俊の子・登志夫を中心に、台本と周辺資料の整理・研究が長期かつ体系的に行われた。余人の及ばない偉業であるが、黙阿弥の作品研究を行おうとすると、まず河竹繁俊・登志夫による膨大な成果に目を通したうえで、発展的に再検討を行う必要がある。これまで多くの研究者が、新たな手を打とうと苦しんできた。 本書は第一章で、先行研究を明治期の坪内逍遙から順に読み解きつつ、悪を美しく描くのを幕末期の黙阿弥作品の特徴とする見方が主流になるのが大正期以降であること、その傾向と並行して、小団次の「善人」の演技にすぐれていた側面が捨象されていったことを明らかにする。以下の各章はこの見解を前提として、各論として複数の作品を取り上げ、分析している。先にも述べたように、作劇法を考察するさい、演出・上演内容の変化を検討する材料として、絵画資料が多く参照されていることが本書の大きな特徴である。 第二章では、先行作品や講談から筋を摂取し、整理してまとめる「合理性」が、黙阿弥の場合、極めて早期から見られることが指摘される。明治期の歌舞伎の特徴のひとつは、あらゆる局面における「合理性」の発露だと評者は考えているが、その観点から見れば、黙阿弥の持っていた合理性は一種の「先取り」とも考えられるのかもしれない。 第三章は小団次との提携の前期、市村座で初演された三作、第四章は後期、小団次が守田座に移ってから初演された『青砥稿花紅彩画』『勧善懲悪覗機関』を取り上げる。先の見解に従えば、第三章でとくに重要なのは第二・三節の『敵討噂古市』、第四章では第二節の『勧善懲悪覗機関』となるだろう。 前者では、伊勢を舞台、愚直な善人・清兵衛を主人公とするこの作品に、小団次の経験と芸風が色濃くうかがえることが示唆される。後者では、小団次の弟子として出演作に影響を与えた可能性が高く、芸を受け継いで小芝居でも活躍した坂東太郎についての記述が、幕末期以降の江戸・東京における大芝居と小芝居の交流(あるいは混淆)を考えるうえで興味深い。 ただし埋忠氏自身が「おわりに」で述べているように、たとえば先行して小団次と提携していた作者・三代目瀬川如皐の作品には、この時期の黙阿弥の諸作と共通する特徴が見うけられる。そうした問題の追究も、氏にとって今後の研究テーマのひとつとなるのだろう。 前述の通り、黙阿弥作品の作品論はこの何十年か、新たな方向性を模索し続けてきた。埋忠氏は本書で多くの資料を綿密に読み、あざやかに用いてこの困難を乗り越えた。今後、同時期の他の作者の作品や明治期の黙阿弥作品の読解に、本書で提示された氏の方法はどのように用いられていくのだろうか。すでにご自身で発表された論文もあるが、楽しみにお待ちしている。(てらだ・しま=龍谷大学文学部准教授・日本近世近代演劇)★うめただ・みさ=お茶の水女子大学准教授・日本演劇・歌舞伎。