――その全歴史、全思考を通じて、実像に迫る――寺脇研 / 映画評論家週刊読書人2020年5月8日号(3338号)評伝 西部邁著 者:髙澤秀次出版社:毎日新聞出版ISBN13:978-4-620-32616-0西部邁が自ら命を絶ってから二年余りが経つ。昭和後期には碩学として、平成には論客として活躍した偉大な知識人だけに、惜しむ者、慕う者は数多く、没後にさまざまな西部像が語られている。かく言うわたしもその一人で、映画を論じていただいた場面や酒席での数々を忘れられない。 しかし、それらは各自が自己との関わりの中で切り取った、ほんの一部でしかない。所詮は、限られた期間での思い出だ。それに対し本書は、幼時から自死の日までの西部邁という人物の全歴史、全思考を通じて、その実像に迫る壮図なのである。 なにしろ著者は、おそらく誰よりも深く西部を敬愛してきたのではないか。すべての著作を精読し、言論誌『発言者』『表現者』の編集委員を務め、さらには二十数年前から「公私ともに徐々に疎遠になっていった」と言いつつ、その最期までをしっかりと見届け、そこに至る過程を追っていく。また、道産子である生い立ちを常に意識していた西部を理解するのに、同じ北海道出身であることも寄与しているだろう。 ご遺族が本書に協力していることからも、著者と西部家の長い関係がわかるというものだ。たかだか晩年の何年間かをご一緒しただけのわたしが知らない、学問を究めようとする西部邁、自らの保守思想を確立していく西部邁、そして家庭人としての西部邁… さまざまな姿がありありと伝わってくる。 そして、著者の西部への愛憎、いや、深い愛惜とささやかな齟齬の思いがこもった筆致に惹かれる。元の文章はサンデー毎日に連載されたが、掲載は断続的に行われており、その執筆過程で十分に腹案が検討され裏付け取材が行われたと推察される周到なものだ。以前から本人によって予告されていた死の真相を論じるのが第一部に据えられ、そこから遡って「保守」や「天皇」「大衆」をキーワードにした思想分析があり、戦後日本への弔鐘を鳴らして世を去った人生を総括するのである。 アメリカの新保守主義を全否定する西部の「保守」を、一九七七年からのアメリカ留学から転じた翌年のイギリスでの一年間に源があるとする推察や、この国の「大衆」が西部を殺したとする見方は、親しく接した著者の立場ならではの踏み込みだろう。「最後の思想」として遺書を論じたくだりは真骨頂と言っていい。 ただ、わたしの名前が突然登場したのには驚かされた。二〇〇七年一月発売の『映画芸術』二〇〇七年冬号に掲載されたわたしとの対談「『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』はいかに観るべきか」は、おそらく西部が映画雑誌に登場した最初である。この硬派映画雑誌の経営困難を打破する狙いもあって、こちらからお願いした。後に佐高信との人気連載映画対談「連続斗論」へと発展していくこの対談が契機となり、西部との間に軋轢が生じた著者を『表現者』から「完全撤退」せしめたなんて……。知らぬこととはいえ、一番の理解者である著者を西部から遠ざける結果になったとしたら、慚愧の念に堪えない。(てらわき・けん=映画評論家) ★たかざわ・しゅうじ=文芸評論家。西部邁ゆかりの言論誌『発言者』『表現者』の編集委員を務めた。著書に『評伝 中上健次』『江藤淳 神話からの覚醒』『文学者たちの大逆事件と韓国併合』など。一九五二年生。