――現代社会に通じる生きた思想をみいだす――河上睦子 / 相模女子大学名誉教授・哲学思想週刊読書人2020年4月17日号(3336号)連帯するエゴイズム いまなおフォイエルバッハ著 者:柴田隆行出版社:こぶし書房ISBN13:978-4-87559-358-4この著は、いまや・・・哲学・思想関連の教科書や書籍にも出てこない〝忘却された〟宗教批判の哲学者フォイエルバッハの思想を、いまなお・・・・考える試みである。マルクス・エンゲルスの評を鵜呑みにして、この哲学者を思想ごと葬り去った日本の哲学思想の専門家たちと違って、著者は、彼の思想には現代社会に通じる生きた思想があると言う。著者・柴田隆行氏は、社会主義崩壊後自由で国際的な研究交流を目指した『国際フォイエルバッハ学会』の副会長で、日本の『フォイエルバッハの会』の幹事として、長く活動してきた社会哲学者である。彼によれば、フォイエルバッハ哲学の現代における思想的意義は「エゴイズム」の承認にもとづく「連帯」という思想にある。だが、彼の哲学の核をなした宗教批判はすでに役割を終えたとされ(実態はいまだ不可視)、彼の「人間学」も現代のグローバル資本主義経済社会が抱える構造問題、多様で非同一な人間観、産業・科学・技術の発達による地球・気候変動など制御不能な自然問題などには対応しえないとさえ言われたりする。こうした彼の哲学思想に向けられた終局宣言に対して、この著は「エゴイズム」の承認による「連帯」という新たな思想提言をみいだそうとする。同じフォイエルバッハ研究者の立場から、述べたい。 この著を特徴づけるのは、Wikipediaなどの紋切り型の思想紹介ではなく、「自然の光」「不死信仰」「エゴイズム倫理」「革命」「幸福衝動」「愛」などの言葉に象徴される独自の視角である。これらは、著者が日記や書簡集などの文献考証によって見出したものだが、彼の思想変遷のなかでは中・後期思想で顕著になるといえるだろう。フォイエルバッハは一八四八年三月革命後、キリスト教と近代哲学思想の西洋精神界への批判を脱し、思想の軸を「生活と自然」に移動させる(「理性→感性→自然」の道)。そして近代社会に生きる個人の「暮らし」「身体」「食」「五感」「自然とのかかわり」を思想的土壌とするようになり、〔人間主義=自然主義〕を提唱する社会思想家となっていく。評者が注目している彼の「食」への関心も、著者は文献的に論証している。 だがこの著の独自性は、彼の「エゴイズム論」に現代思想としての可能性をみいだす試みにある。フォイエルバッハはシュティルナーやショーペンハウアーとの思想論争だけでなく、モーレショットやカール・グリューンなどの社会思想家との交わりを通して、一般に人間の共同性の反意語とされる「エゴイズム」を連帯の基礎とした。というのも個人の死苦の根拠である「幸福衝動」ぬきの連帯や共同性は空理空論でしかないからである(そういう欺瞞装置の解明こそ彼の宗教批判の真髄だった)。著者は、各個人の幸福衝動に依拠する「エゴイズム」の承認にもとづく「連帯」(苦の共有といえる)そのものに、現代思想としての可能性を見いだしている。評者は、この著者の見解に共感するが、「世俗の地上のエゴイズムの宗教」というユダヤ教の理解と彼の宗教批判との整合性が気になった。(かわかみ・むつこ=相模女子大学名誉教授・哲学思想)★しばた・たかゆき=東洋大学教授・社会思想史・哲学史。著書に『フォイエルバッハは哲学史の再構築に寄与しうるか』『シュタインの自治理論』など。一九四九年生。