――四カ国の制度と人々の実践の対応関係に着目し議論――中西泰子 / 相模女子大学准教授・家族社会学・ジェンダー論週刊読書人2021年12月31日号・2021年12月24日合併ワーク・ファミリー・バランス これからの家族と共働き社会を考える著 者:高橋美恵子(編著)出版社:慶應義塾大学出版会ISBN13:978-4-7664-2779-0 社会人になったら、一年の内での連続休暇として最低でも何日ぐらいは欲しい?とたずねてみた。ゼミナールの学生のほとんどが口々に「三日は欲しい」と答える。その中、一人の学生が「五日間は欲しい……本当は一週間」と遠慮がちに答えたところ、笑いと驚きの声があがった。学生達も、数週間のバカンスが当たり前の国々があるらしいということを知ってはいる。しかし、それが自分たちの選択肢はおろか希望や理想としてすら語られることはない。 人は厳しい状況に置かれ続けると実現不可能な希望を抱かず「現実的」な願望で満足してしまうという。こうした当人にもきづかれにくい不平等問題に取り組んでいくために、「ケイパビリティ(潜在能力)・アプローチ」(A・セン)が世界的な注目を浴びたわけだが、このケイパビリティ・アプローチが、本書がワーク・ファミリー・バランス(以下WFB)の現状と課題を描きだす際の軸となっている。そのため本書では、日本を含む四カ国の政策・制度の実施状況と各国の子育て期の人々(異性・同性カップルやひとり親など)へのインタビューの双方を関連させながら議論が展開されている。すなわち、制度の在り方と人々の選択や実践との間にどのような対応関係がみられるのかに注目して、議論が進められている。 法制度がある程度整えられてきたにもかかわらず日本ではWFBが不十分なままである。本書はこの問題の解決に向けて、性別分業型社会から「稼得・ケア共同型(dual earner, dual carer)」への移行を実現することの有効性を主張する。「稼得・ケア共同型」社会の実現を図る先進国としてスウェーデン、ドイツ、オランダがとりあげられている。各国の辿ってきた制度・政策改善のプロセスが提示されているが、そこでは改めて目を開かされるような認識の転換過程をみることができる。例えば、ドイツでは二〇〇〇年以降の政策転換過程において、「育児休暇」は「親時間」へと名称が変更された。「親時間」は、その言葉自体に子育てに対する根本的な考え方の転換があらわれている。「親時間」は「育児休暇」ではない。その背景には、賃労働と家事・ケア労働などの社会的労働とは同等の関係にあるという理念がある。また、子育て世帯の経済的負担に対する保障である「親手当」は、給付期間中に時短勤務をしても親手当てが減額されることはないという。たとえ時短勤務をしていても、親としての労働が減るわけではないという認識がそうした制度を支えていると考えられる。そして各国における子育て期の人々へのインタビューでは、人々の語る内容やその語り口から、WFBのための各種制度導入が個々人の強いニーズに支えられていることがみえてくる。 さらにコラムでは、各国での駐在を経験した子育て期の日本人男性達の体験がとりあげられているが、彼らの言葉からは、選択範囲の広がりが及ぼす影響の強さを理解することができる。「日本ではワーク・ライフ・バランスの理想など想像もしなかった」という男性は、実際にそれが成り立っている国での生活を経験して「正直昔のような仕事はしたくない」と思うに至る。しかしまた日本帰国後は「不思議なくらい、普通に戻ってしまっている」。良くも悪くも置かれた状況に対する人間の順応性の凄さを痛感させられる。 とはいえむろん、当該三カ国は理想を実現したユートピアではない。また各国間の違いもあり、それぞれに課題を抱えている。パートタイムもフルタイム同様の保障がなされているとはいえ、結局はある程度長い時間勤務しなければやりがいのある仕事にはつきにくいという現状や根強いフルタイム規範。男女の賃金格差ゆえに、「合理的」選択の結果として、男性の育児休業取得割合や期間は相対的に少なくなりやすく女性に家庭内負担が偏りやすいという性別分業の根強さ等々、日本との類似性を想起させる課題がある。 しかし、先進的な取り組みを行いながらも日本と似た課題を抱えている国々において、問題改善のためにどのような取り組みが行われているかを知ることは非常に重要でである。理想は、いきなり完全な形で実現することなどできるものではないが、ときに修正を加えながらもそれを思い描くことができるからこそ、一歩ずつ前に進んでいくことができるということを、本書をとおして目の当たりにすることができる。 WFBをめぐる人々の思いは複雑かつ多様であり、ときに政策意図とはくい違う結果があらわれることもある。そのような複雑さを含みこんで四カ国の制度の現状と人々の「実践」とをつなぎあわせながら提示していくために、本書は子育てという営みに限定し、いわば一つの穴から広い外側を観察することによって、私達が自明視している選択肢を相対化して眺めることを可能にしてくれている。本書は、私達が何を望み選んでいくことができるのかを改めて問いなおし、あらたな希望を実現させうる制度を求めて行動していくために、確実に背中を押してくれる。(執筆:善積京子・斧出節子・松田智子・釜野さおり)(なかにし・やすこ=相模女子大学准教授・家族社会学・ジェンダー論)★たかはし・みえこ=大阪大学教授・家族社会学・ジェンダー論。ストックホルム大学社会学研究科博士課程修了。博士 (社会学)。論文に「スウェーデンにおける出生率の動向と家族政策の変遷」など。