神田法子 / 書評家・ライター週刊読書人2020年10月16日号アスク・ミー・ホワイ著 者:古市憲寿出版社:マガジンハウスISBN13:978-4-8387-3111-4 人は何かを認知する時に自分がすでに知っているものに引き寄せて理解する癖があるという。その法則に照らし合わせると本作に登場する俳優・港颯真の設定を「まるであの俳優のようではないか」と思ってしまう人も多いだろう。小説デビュー作『平成くん、さようなら』の平成くんの人物像に「これはまるでテレビで見る古市さんそのものではないか」と感じた人が少なからずいたように。実は古市作品にはこのようなギミックがよく使われていて、実在の人名やブランドなどがちりばめられ、読者が思い浮かべる具体的なイメージの枠(この人物のモデルはあの人じゃないかという下世話な想像も含め)の中に巧みにフィクションを織り込んでいくのだ。ただ、この小説においては、俳優の境遇「薬物使用が原因で芸能界を追われ欧州を旅しており、同性愛者という噂がある」は実在のそれに似てはいるけれど、告発した相手の属性やデビューからの経緯など詳細は異なっており、「実際にありうる事件」であるリアリティを獲得するために枠組みを借りた程度と判断してよいだろう。この少しエキセントリックでピュアな恋の物語を信じるためにはそれくらいの前提がちょうどよい。 本作の舞台は、外国人居住者のためのフリーランスビザが取得しやすく、ドラッグや同性愛などが合法である「自由の街」アムステルダムだ。その中で主人公はヤマト(元彼女はサクラ)という日本的なものの象徴かつ記号的なカタカナの名を持ち、一方で闖入者である俳優は港という自由な移動と交易を象徴する名(彼を追い込んだ親友の俳優は隼という素早い移動を意味する名)を付けられている。この名付けに象徴される差異は、二人の関係が始まり、進んでいくにつれ対照をなし、ヤマトの中で港に対する思いへのひっかかりとして描かれる。ゲイであることをオープンにし奔放な関係を楽しむ港に対し、異性愛者で元彼女に冴えない振られ方をしたことを引きずっている自分、芸能人であった港に対し、日本料理店勤務で前職は家電量販店社員だった自分、金銭感覚や交友関係も派手な港に対しつましい暮らしをしてきた自分といったように。ひっかかりを認識するたびに、港に対する思いが強くなっていき、それを恋と認めるための葛藤も生じてくる。そもそもふたりの関係は出会い頭にキスをするという昔の少女漫画も真っ青な始まり方をしているのであり、最初から好きになるのを運命づけられているようなものだ。自由な国でオープンな相手を前に、自分の中にあるひっかかりを認識していくこと、それこそが恋をする本質なのだと思わされる。余談だが日本料理店の同僚カンは漢字にすると韓国によくある姜だろうが韓国的なるものの象徴記号としてのカタカナ名なのかもしれない(最後は日韓関係が良好となったという意味だろうか)。 シェアハウスの同居人の飼い猫のアマンダ(「愛されるもの」という意味を持つ名)の存在もまた象徴的だ。当初の冴えないシェアハウス生活の中の癒し(自分のものではない点的な)として登場したアマンダは、終盤に港との生活を選び出ていくヤマトの前に弱った姿で現れる。飼い主のオーレによると、癌でペインコントロールしていたが一か月を限界として安楽死させるという。この国の自由には「安楽死」も含まれていたのだ。ひっかかりを克服して自分に自信を持ち新しい一歩を始めるヤマトに対し、静かに一つの終わりを迎える小さな存在が色を添えている。(かんだ・のりこ=書評家・ライター)★ふるいち・のりとし=社会学者・作家。著書に『平成くん、さようなら』『百の夜は跳ねて』『絶対に挫折しない日本史』など。一九八五年生。