――人びとの苦痛と記憶に光をあて、生と死のあわいを漂う声をひろう――田原範子 / 四天王寺大学人文社会学部教授・文化人類学・社会学週刊読書人2020年5月22日号(3340号)海女たち 愛を抱かずしてどうして海に入られようか著 者:ホ・ヨンソン出版社:新泉社ISBN13:978-4-7877-2020-7済州島の空、潮の匂い、海に潜る海女たち、そして磯笛(スムビソリ)が聞こえてくる。にじむような赤い椿の表紙をめくると、海を思わせる深い青色の扉、そして黒い頁に白い文字の「詩人の言葉」が始まる。〈夜明けの道で見た 水の道をゆく彼女たちを〉、暗い海原を沖へと泳いでいく三人の海女たちの姿が、ほのかに白く浮かびあがる。 椿は、済州四・三事件の犠牲者の象徴だという。済州四・三事件とは、米軍政下の一九四八年、朝鮮半島の南北分断に抵抗した済州島の人びとへの武力弾圧である。人口二八万人の島で三万人以上の島民が虐殺されたという。本書は、済州島出身の著者ホ・ヨンソンが、海女の生を綴った詩集であり、民族誌でもある。訳者の一人姜信子は、〈黒塗りされた記憶ばかりのその島で、ホ・ヨンソンはジャーナリストとして、闇の底の記憶を掘り起こし、凍りついた声に耳傾けるという地道な作業を長年にわたってつづけてきました〉と述べる。海女たちは、済州島だけでなく、朝鮮半島全土、日本、中国、ロシアの海に潜った。その足跡を、地図で辿ることができる。 第一部「海女伝――生きた、愛した、闘った」では、ひとりひとりの海女の名前がタイトルになっている。死と隣り合わせで海に潜ることは、暮らしを営むことであり、生きることそのものであった。「海女キム・オンニョン」は、一九三〇年代の海女抗日闘争の時にひどい拷問をうけた。その経験を語る言葉が、〈愛のない水は死だということ〉という詩となった。「海女クォン・ヨン」は母と子の詩だ。〈憶えている 黒く光る海に身を投じた母を〉と、帰りを待つ子の心細い気持ちが記される。「海女ヒョン・ドクソン」の一節を紹介しよう。木綿の海女衣で どんどん潜る/骨も 腰も/関節という関節がばらばらと水平線に浮かぶようだ/ホンダワラ わらわらとたっぷり押し寄せてくる 朝六時から七時/海を相続したのさ思わず声に出して歌いたくなる、そしてその言葉とリズムに息吹を込めて人に伝えたくなる。 第二部「声なき声の祈りの歌」では、海女たちの記憶と声が済州民謡へと昇華される。「一瞬の決行のためにわたしは生きていたのです――死せる海女に捧ぐ」は、海女が握るピッチャン(磯ノミ)とピッチャン(悲唱)の音の響き合いの中で紡がれた詩である。ピッチャンが、〈水底の獲物を求めて 潜っては浮かび 浮かんでは潜り/水平線は眉にかかって揺らめいて〉と、かつての漁を思い出し、ピッチャンを歌っている。 ホ・ヨンソンは、文学は時代に対する応答だという。彼女は、人びとの苦痛と記憶に光をあて、生と死のあわいを漂う海女の声をひろいあげた。海女は海から浮かび上がり、息を吐いて、生きる力を吸いこむ。その息づかいを共有すること、日韓関係の膠着した現在にあっても、海の波が境界を乗り越えるように私たちの生が互いにつながることを、ホ・ヨンソンは願う。その切なる思いが、日本語の美しい本として私たちに届けられた。済州の海の「スムビソリ(磯笛)」が皆さんの人生の海に鳴り響いて絶望の瞬間には人生の希望と慰めになりますように。(たはら・のりこ=四天王寺大学人文社会学部教授・文化人類学・社会学)★ホ・ヨンソン=詩人、済州四・三研究所所長、済州大学講師、五・一八記念財団理事、社団法人済州オルレ理事。韓国済州島生まれ。詩集に『追憶のような—私の自由は』『根の歌』、エッセイ集に『島、記憶の風』、日本語訳された歴史書に『語り継ぐ——済州島四・三事件』など。本書はキム・ガンヒョプ文学賞を受賞した。