――人々の興奮と懸念、感動と挫折感、奮起と希望がつたわる――和田春樹 / 東京大学名誉教授・ロシア史・ソ連史・朝鮮史週刊読書人2021年4月2日号日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945―2010著 者:富坂キリスト教センター(編)出版社:新教出版社ISBN13:978-4-400-41224-3 1970年代に韓国教会が民主化運動の先頭に立って進んだ時、日本の教会が強い感銘をうけ、連帯の運動を進めるようになった。その過程で日本の教会の中で日韓関係の歴史についての大きな認識の変革が生じたのである。キリスト教会は国民の一部であり、歴史認識の変革を経験したのは日本国民全体も同じである。 その結果、はじまっていた『日韓キリスト教関係史資料』の刊行事業が見直された。池明観、小川圭治両氏の編による第二巻(1923―1945年)が1995年に刊行されたのは新時代の成果であった。その資料集は、日本の植民地支配、皇国臣民化政策に従って、日本のキリスト教会が朝鮮に進出し、朝鮮の教会の抵抗を切り崩す努力をいかに執拗に行ったかを明らかにした。それは誠実なる責任の告白、真摯な謝罪と反省の作業であった。 今回刊行された第三巻は第二巻をひきつぎ、日本の植民地支配がおわり、朝鮮民族が解放された1945年から韓国併合100年にあたる2010年までというまことに意味深い歴史的一時代を対象として、日本の教会がその間どのように古い認識を出て、新しい歴史認識を獲得し、韓国教会との関係をどのように変えたかを示すことを課題としている。この巻を作成した研究グループの座長は韓国問題キリスト者緊急会議をみちびいた東海林勤牧師であり、メンバー中には森岡巌、飯島信、山口明子氏ら、緊急会議の方々が入っておられる。 本書に集められた資料の中心部分は、韓国民主化運動へ日本教会が連帯して活動した時期の資料であり、そのどれを読んでも、その時々の人々の興奮と懸念、感動と挫折感、奮起と希望がつたわってくるものばかりである。これらの資料が今日まとまって読めるようになったことは、あとから来る人々にとっての大いなる幸いだと言えよう。 私は、この主題とされる時代に生きた非キリスト者の市民、いわば「門前の小僧」として、教会の人々といくらかの歩みをともにした者である。その私が本書を読んで、いくつかの不満をも感じた。そのことを率直に述べることが必要だと考える。 まず、時期区分として、1945年から1965年までを第一期とするのは妥当であろう。問題は、この時期の日本教会の意識の問題点がはっきりと示されているかどうかである。8月15日以後の日本人は戦争を嫌悪し、平和国家の民として生きることをのぞんだが、朝鮮植民地支配を直視せず、反省しなかった。教会もおなじ意識であった。本書は1945―49年の資料をごくわずかしか含んでいない。無教会派の矢内原忠雄の詩「朝鮮の兄弟姉妹に寄す」は収められている。だが、矢内原の文章を収めることができるのなら、日本の朝鮮統治は「永続的利益」もあたえた、ただ「思想的同化政策」だけはよくなかったと書いた彼の文章、「管理下の日本――終戦後満三年の随想」(1948年)を収録したら、よかったと思う。朝鮮人金教臣の信仰の友であったこの人でさえ、植民地支配認識はこのレベルであったことを示すことができたはずである。 1965年日韓条約締結時については、ずっと多くの資料が収められている。しかし、ここでも、韓国教会は日韓条約が日本の植民地支配を肯定していると反対しているのに、日本教会はそのことを明確に理解せず、植民地支配を反省する立場から日韓条約を批判できなかったことが十分に示されていない。韓国教会の重要な声明、韓景職氏他240名の65年7月11日声明が『教団新報』から収められているが、「両国間の以前の条件を無効にするにあたって、それが無効になる正確な時日が不明瞭のまま残されている。このことは…1910年の侵略を正当化した」は致命的誤訳である。7月1日のキリスト教牧師・教職者声明には「韓日間の諸条約の無効化時点を曖昧にすることによって日本側に乙巳庚戌等国権強奪行為を合法化する口実を与えた」と書かれている。こちらが原文に近いだろう。編者がこのことを承知して、なおこの資料を載せたのなら、注記が必要になる。矢内原の弟子溝口正氏の文章がいくつか収められているのは意味があるが、その反省的な文章のどこにも植民地支配への反省がみられない。そのことの問題性をくっきり浮かびあがらせるには、韓国側、韓国教会側の明確な主張を一緒に収録しなければならない。なぜか、収められた韓国側の資料は主張のよわい文章ばかりである。 このように見てくると、1967年の鈴木正久教団議長の戦責告白はむしろ第一期を脱していない行いとみるのが妥当と思えてくる。日本教会にとって重大な一歩であった戦責告白は戦争支持、協力の罪の告白であり、朝鮮植民地支配に対する謝罪を含んでいなかった。 その意味で、日韓連帯運動の中ではじめて日本の教会も、日本の市民も朝鮮認識の大きな変革を経験するにいたったことがどれほど重要であったかがわかる。このことが第二期を1965年から1987年までとし、「韓国民主化闘争と日韓連帯の動き」という時代名をあたえた構成では不明確になっている。決定的な転換点は、1973年5月20日の韓国キリスト者有志教職者一同の宣言(244―48頁)とそれをうけとめた1974年1月15日信濃町教会での韓国問題キリスト者緊急会議であったのである。この会議については東海林牧師の記事(153―54頁)と当日の声明(258―61頁)が載せられている。この声明は、1965年、「韓国キリスト者が、日本の植民地支配の謝罪と賠償のない国交回復に抗議し」たとき、日本のキリスト者は何もこたえられなかったと認めている。今回読んで、私は感動をおぼえた。この大転換に立って、日本のキリスト者と教会は日本の国民の反省を牽引する働きをされた。その資料が本書に集められている。読者に熟読をお願いする。(わだ・はるき=東京大学名誉教授・ロシア史・ソ連史・朝鮮史)