――詳細な作品分析、作家分析から文学の核心を論じる――島田裕巳 / 作家・宗教学者週刊読書人2020年10月23日号愚行の賦著 者:四方田犬彦出版社:講談社ISBN13:978-4-06-520242-5 たしかに、文学の試みというものは、人間の愚行を描き出すことに、その核心をおいている。 そうした作品としてすぐに思いつくのが、名高いわりに読まれることが少ない、メルヴィルの「白鯨」であり、セルバンテスの「ドン・キホーテ」である。 「白鯨」のエイハブ船長は、白鯨に自らの足を食いちぎられた経験を持つだけに、それをしとめることに執念を燃やすが、最後は、船もろとも海の藻くずとなってしまう。 ドン・キホーテの方は、騎士道小説に熱中するあまり、正気を失い、自らを遍歴の騎士と錯覚して、風車を相手に巨人退治を演じるはめになる。 その後編では、作者自身が、前編が出た後に生まれた贋作退治にやっきになっており、その姿は愚行をくり返すドン・キホーテに重なる。 あるいは、プルーストの「失われた時を求めて」も、延々と続く社交界のパーティーの場面で、参加者は真偽相半ばするうわさ話に飽きることがない。同性愛を含む恋愛にしても、その耽溺ぶりは愚行の域に達している。この作品の本質は、スキャンダルを描き出すことにあるのではないかとさえ思えてくる。 こうした作品は本書のなかで取り上げられてはいないが、著者がその続編として予定している「零落の賦」にはふさわしい作品なのかもしれない。「愚行の賦」は後半、バルトや老子、さらには谷崎潤一郎へと話が及び、世界文学を視野におさめているわけだが、核心となるのは、フローベール、ドストエフスキー、ニーチェを論じた部分である。 この三者には深い結びつきがある。 ドストエフスキーの章で主に扱われているのは「白痴」だが、ヒロインであるナスターシャは、図書館から借り出したフローベールの「ボヴァリー夫人」を読んでいる。その読みかけの本を、ムイシキン公爵が見つけ、自分のポケットにしまいこむのだ。 著者は、そこにナスターシャとボヴァリー夫人の共通性を見出す。どちらも、複数の男たちに翻弄され、最後には破滅するのだ。 ドストエフスキーは、フローベールに共感していた。しかし、ニーチェは、フローベールを嫌悪し、逆にドストエフスキーを賞賛していた。三者の関係はかなり複雑だ。 なぜそうした事態が起こったのか。それを解明するためには、まさに本書で試みられている詳細な作品分析、作家分析が必要になるが、私が興味をそそられたのは、フローベールが癲癇を患っていたことである。 それはドストエフスキーにも共通する。しかも、「白痴」において、ムイシキン公爵は、先天的癲癇患者として設定されている。物語の最後、公爵は癲癇の発作を起こし、もとの白痴に戻ってしまう。 ドストエフスキーは、自らが公爵と同じ状態に陥ることを恐れていた。そして、同じ病を患うフローベールに限りない共感を抱いたのである。 ニーチェは晩年、狂気に陥ったことで知られる。著者は、ニーチェについて述べた章の冒頭で、イタリアのトリノで精神を錯乱させた出来事について語っている。ニーチェは、その前から精神に異常を来していた。 ニーチェの場合、癲癇を患っていたわけではない。ニーチェは梅毒を患っていたと考えられている。梅毒は末期になると脳にまで及び、精神疾患と同様の異常行動を生むとされる。 梅毒は時間をかけて徐々に進行していくものであり、トリノで突然馬を抱擁するまでの間に、ニーチェの精神は次第に蝕まれていた。 そうした状況のなかで、ニーチェは、「白痴」を読み、ドストエフスキーが自らの体験にもとづいて癲癇の発作について詳細に記していることに接した。ニーチェは、その段階で自らの病について自覚していたわけではないだろうが、そこで何かを感じたに違いない。 もしフローベールが、ドストエフスキーのように、自らの作品のなかで癲癇を描いていたとしたら、ニーチェは、共感を示したかもしれない。彼にとってフローベールは、ただただ人間の愚かさについて書き、人間を徹底して弱いものとしてしか描かなかった作家にしか見えなかったのだ。 著者は、谷崎を取り上げた最後の章で、谷崎のスカトロジカルな欲望に言及し、愚行が狂気へと接近する可能性について論じようとしている。それは、老子の章でも共通する。 そこを読んで、私は、谷崎ではなく、むしろ漱石の「坊つちやん」を取り上げるべきだったのではないかとも感じた。教師の坊つちやんは、宿直をしているとき、寄宿生に嫌がらせを受けたと感じたわけだが、その箇所をよく読んでみると、妄想であるように思えてくる。 愚行は狂気と密接に関係するのである。(しまだ・ひろみ=作家・宗教学者)★よもた・いぬひこ=エッセイスト・批評家・詩人。文学、映画、漫画などを中心に、多岐にわたる今日の文化現象を論じる。著書に『翻訳と雑神』『日本のマラーノ文学』『ルイス・ブニュエル』『詩の約束』など。一九五三年生。