――二〇〇六年から二〇一九年までの、沖縄・抵抗の記録――尾西康充 / 三重大学教授・日本近代文学研究週刊読書人2020年4月3日号(3334号)ヤンバルの深き森と海よ著 者:目取真俊出版社:影書房ISBN13:978-4-87714-485-2東村高江・名護市辺野古の建設工事を阻止しようとしてきた作家目取真俊は、「国のやることには勝てない、という負け犬根性を沖縄県民は克服しないといけない」と主張する。そして「まわりを金網で囲った米軍基地の弱点はゲートであり、そこに毎日300人以上が座り込めば、工事を止めることは可能」であると、〈非暴力抵抗運動〉への参加を訴えてきた。しかし目取真の呼びかけに反して建設工事が強行された原因は、沖縄を再び〈捨て石〉にしても構わないとする日本政府の欺瞞に満ちた態度だけに帰せられるものではない。目取真によれば、保革の対立を超えた「オール沖縄」の枠組みは、「沖縄の反戦・反基地運動の変質を促しかねない危険性」が存していたという。なぜなら「オール沖縄」という「美辞麗句の裏」で、「反基地運動の主導権を自公の保守勢力」に握られてしまい、それまで革新勢力が争点にしてきた「日米安保条約や自衛隊、天皇制、日の丸、君が代などの重要な課題が後景化」することになるからである。さらに、共闘を維持しようとするあまり、「普天間基地の主要ゲートを民衆の直接行動で封鎖するような取り組みは、過激すぎて大衆がついていけない、運動の和を乱す、と封じ込めが強化」されてしまう。そこで「本気で工事を止めようと思っている参加者」に「過激だ、やりすぎだ、という批判」が加えられ、「現場の取り組みは穏やかで大衆的なものにとどめ、あとは知事や政治家にまかせるべきだ」という声が強まって、たちまち運動の後退がはじまる。目取真は、「それこそ日米両政府の思うつぼ」ではないか、と警鐘を鳴らすのである。反基地運動の分断を深める要因を孕んだ「オール沖縄」の枠組みは、沖縄島における南北差別の助長にも加担している。目取真によれば、「オール沖縄」で「オスプレイや普天間基地の県内移設に反対」しているといえば「聞こえはいい」が、あろうことか、高江のオスプレイパッド建設に反対するのは「小異」として切り捨てられてしまった。普天間基地の危険性を北部・ヤンバルに押し付けようとするのは、「少数者に犠牲を強要」する点において「日本政府のやり口とまったく同じ」ではないか。「政府の沖縄差別を批判しておきながら、ヤンバル差別を公然と行うなら恥ずかしい限りだ」とされる。カヌーチームに参加して海上抗議行動をつづける目取真は、「自分でカヌーを漕いではじめて、辺野古の海、大浦湾の美しさ、沖縄にのこされたその価値を肌で知ることができた」と記している。だが自然の恵み豊かな北部の住民を「ヤンバラーと呼んで蔑み差別した歴史」はいまだに克服されていないのである。故翁長雄志知事は、イデオロギーではなくアイデンティティーを大切にする〈沖縄ナショナリズム〉を掲げて日米両政府に対抗しようとした。死を迎える最期のときまで辺野古新基地反対を貫いた姿勢は、政治家として至高のものである。しかし革新三党(社会党・共産党・沖縄社会大衆党)による革新共闘の時代に比べれば、自民党・経済界の一部との妥協を図るために、多くの課題(高江ヘリパッド建設、浦添軍港、泡瀬干潟)が棚上げされてしまったのも事実である。目取真は、二〇一六年四月一日に辺野古で、米軍の沖縄人警備員に拘束され、八時間近く米軍基地に監禁された。さらに一〇月一八日に高江で、大阪府警の機動隊員から「どこつかんどるんじゃ、こら土人が」という暴言を吐かれる事件が発生した。目取真によれば、「本来はヘイトスピーチを取り締まる立場にある彼らが、ネット右翼レベルの知識、認識しか持たず、沖縄県民に差別発言を行っているのは恐ろしい」と批判する。高江では、沖縄県警を含め全国六都道府県警から派遣された五〇〇名の機動隊員によって市民の車両とテントが強制撤去された。沖縄に限らず、やがては全国各地で市民運動が治安当局の暴力によって抑え込まれ、民主的な手法や地方自治が踏みにじられることが当たり前になると、「国のやることに抗っても無駄だ、黙って従った方が身のためだ」という風潮が強まるにちがいない。目取真によれば、それこそ「戦争前夜の精神風景」であり、メディアは政治権力に忖度し、議会も翼賛化が進み、「無力感や屈辱を抱えた市民」はついに「それを解消してくれる独裁者を倒錯的に期待」するようになるだろうと警告する。目取真は「恥を知るべきだ」と、沖縄に米軍基地の負担と犠牲を強要し続けてきたヤマトゥンチューに怒りをぶつける。返す刀で、ウチナンチューには「国に抗っても勝ち目はない。だったら取れるものを取った方がいい」という「あきらめと無力感」を「愚かだ」と非難する。抑圧が厳しければ厳しいほど、被抑圧者たちの間では権力に協力する姿勢が強まる。このような支配と依存の構造を転覆させなければならない。闘争の最前線に身をおく目取真の緊張感に満ちた言葉からは、第二次世界大戦末期における二度のワルシャワ蜂起を想起させる。ゲットーに封鎖されていた人びとによる武装蜂起から一五カ月後、それを拱手傍観していたポーランド人が立ち上がった。ワルシャワの至るところでふるわれるナチス親衛隊の暴力を前にしては、もはやだれにも譲歩は許されていなかったにもかかわらず、ポーランド人は共に闘うことができなかったのである。ウチナンチューの米軍基地問題の本質は、圧倒的な軍事力を背景にした米国政府に隷属しているヤマトゥンチューの日米安保体制にある。戦争の加害者にも被害者にもならないために、今、われわれはともに行動しなければならない。(おにし・やすみつ=三重大学教授・日本近代文学研究)★めどるま・しゅん=作家。著書に『魚群記』(第十一回琉球新報短編小説賞受賞)『平和通りと名付けられた街を歩いて』(第十二回新沖縄文学賞受賞)『水滴』(第一一七回芥川賞受賞)『魂込め』(第四回木山捷平文学賞・第二六回川端康成文学賞受賞)など。一九六〇年生。