――「記憶」の時代に議論を提起する――池上賢 / 拓殖大学政経学部准教授・社会学・マンガ論週刊読書人2021年4月16日号アニメと戦争著 者:藤津亮太出版社:日本評論社ISBN13:978-4-535-58753-3 本書のテーマは戦争である。著者も指摘するように、現代社会の日本で生きる多くの人々にとって、戦争はメディアを通じて体験するものである。そして、様々なメディアの中で、アニメもまた人々に「戦争体験」を提供する役割を果たしている。本書は、「アニメにおける『戦争』がどのように描かれてきたのか、その変化を、戦中から現在にかけて追っていく」ものである。「アニメと戦争」と聞くと、どのような作品を思い出すだろうか。人によっては、実際の太平洋戦争を題材にした『はだしのゲン』や『この世界の片隅に』などを思い出すかもしれない。あるいは、全くの架空の戦争を描いた『機動戦士ガンダム』シリーズをはじめとするロボットアニメを思い出す人もいるだろう。本書は上記いずれも射程としており、その範囲は非常に広範である。「アニメと戦争」というテーマをめぐって、出来る限りアニメ史全体を照射して丁寧に論じようとする著者の誠実さがうかがえる。 一方で、本書の〝アニメにおける戦争の語られ方〟の整理は明瞭である。著者は序章において議論のために、読者に「三つの〝地図〟」を提示する。一つ目は、歴史学者・成田龍一による「状況」「体験」「証言」「記憶」という戦争の「語られ方による時代区分」。二つ目は、「写実」と「記号」という二つのベクトルによって整理された「アニメの表現」。そして、三つ目は縦軸に「歴史的/非歴史的」、横軸に「集団的/個人的」をとった「アニメが描く戦争をマッピングした図」である。 さらに、著者は第一章で、繰り返しアニメ化されている(=時代ごとの表現の変遷を読み解くことが出来る)『ゲゲゲの鬼太郎』の戦争を扱ったエピソードである「妖花」が、五回に及ぶアニメ化の中で、どのような物語としてアレンジされたのかを提示し、自身が参照した語られ方による時代区分と、アニメ作品との間に対応が見られることを確認する。 この二つの章の記述と整理は、後の章を読み解いていくうえで、羅針盤となる役割を果たしている。 その後は、時代ごとのアニメについて、その内容や表現について考察していく。紙幅の都合もあるため、その議論全てを取り上げることは出来ない。しかし、「戦争が『みんなの体験』に近いところから、だんだんサブカルチャー化し、〝個人の趣味〟のものへと変わってきている」という大きな流れの存在や、それとは異なる位置に置かれる様々な作品の存在など、本書は「アニメと戦争」について、そして「戦争」それ自体について、考えるきっかけとなる議論を分かりやすく詳細に展開している。 著者が参照した議論によれば、現在は「記憶」の時代である。それは、「さまざまな戦争の語りを統合することで、社会の中に形成されていく『集合的な記憶』」を指すという。著者は、第十章の最後で「日本のアニメの表現は十分に成熟しているといえる」と述べ、「機会と環境が許しさえすれば、『記憶』の時代を踏まえた『アニメと戦争』の関係が新たに描かれるときはきっと来るはずだ」と本書を結んでいる。果たして、そこで描かれる「記憶」はどのような物になるのであろうか。 私は、アニメは「ひたすらに楽しい」ものであるが、同時に「深読み」をして「真面目に考える」のも重要であると考えている。本書はそのきっかけになる一冊として、様々な議論を提起している。(いけがみ・さとる=拓殖大学政経学部准教授・社会学・マンガ論)★ふじつ・りょうた=アニメ評論家・東京工芸大学芸術学部アニメーション学科非常勤講師。一九六八年生。