――「朝鮮隠し」という実態を是正しようとした生涯――竹内栄美子 / 明治大学教授・日本近代文学週刊読書人2020年6月12日号(3343号)日本のなかの朝鮮 金達寿伝著 者:廣瀬陽一出版社:クレインISBN13:978-4-906681-55-6金達寿の話を一度だけ聞いたことがある。一九八六年一〇月二七日、法政大学で開催された「中野重治歿後七年研究と講演の会」で、新日本文学会で親しかった中野重治との思い出を講演された。大柄な人で、「雨の降る品川駅」に感動したこと、中野とともに貧乏ななかで講演旅行をしたことなどを、顔をくしゃくしゃにしながら懐かしそうに話されたのを覚えている。中野重治への深い敬愛の念がうかがえる貴重なお話だった。 本書は、右の講演会のことや、金達寿と中野重治との信頼関係も素描され、生い立ちから晩年に至るまで多くの情報が埋め込まれた金達寿の本格的評伝である。『玄界灘』『朴達の裁判』などの小説で知られ、のちには『日本の中の朝鮮文化』で古代日朝関係史に取り組んだ金達寿については、意外なことに本格的な研究がこれまでなかった。著者には博士論文をもとにした浩瀚な前著『金達寿とその時代』(クレイン、二〇一六)があり、本書と併せて読むと、いっそうくっきりとした金達寿の像と戦後日本の朝鮮問題が浮かび上がる。 著者の問題意識は、金達寿が「日本と朝鮮、日本人と朝鮮人との関係を人間的なものにする」ことを生涯の課題とした在日朝鮮人知識人であるという視座から、日本各地にある渡来人による文化遺跡や、戦後日本社会のなかで六〇万人もの在日朝鮮人が七〇年以上にわたって日本人とともに生活してきた歴史を根拠として、それが見えなくされている「朝鮮隠し」という実態を是正しようとした金達寿の仕事を明らかにすることにあった。「朝鮮隠し」が、朝鮮人に対する日本人の文化的優位性や差別意識を生み出すもとになっていることから、金達寿が日本と朝鮮との関係を、差別のない対等で人間的なものにしたいと考えたことは、ヘイトの問題が横行する現在でも学ぶべき大事な考えであろう。著者のこのような問題意識は重要である。 それを踏まえたうえで、金達寿自身の閲歴からすると、共産党の五〇年問題からリアリズム研究会消滅に至るまでの経緯、さらに北朝鮮や総連を「祖国」と思いながらも一九七二年に総連から除名され、一九八一年に全斗煥(チョンドゥファン)政権下の韓国を姜在彦(カンジェオン)、李進熙(イジンヒ)、徐彩源(ソチェウォン)とともに訪問、それまで批判してきた韓国社会を高く評価するようになるなど、その紆余曲折をどう捉えればよいのかという疑問があった。たとえば韓国訪問について、著者は、金石範の厳しい批判を紹介しながら当時どのように受け止められたかを叙述しているが、いま現在この紆余曲折をどう評価すればよいのだろうか。本書を読んで、わたしには、金達寿自身が冷戦下における分断された朝鮮半島そのものを体現しているように思われた。あるいは、戦後日本における朝鮮問題と連動した在日朝鮮人運動の明暗そのものが反映しているようにも受け取れた。金嬉老(キムヒロ)事件のさいには、在日朝鮮人を代表してコメントを求められる立場にあることに苦しんだという。金達寿が抱えていた苦しみ、その生涯を考えることは、冷戦下における戦後日本の朝鮮問題そのものを考えることにつながると思う。その意味で、本書は、一作家の個人研究にとどまらない歴史的な奥行きのある著書である。 その一方、評伝としても読み応えがあり、先の中野重治との信頼関係のみならず、志賀直哉とドストエフスキーに魅了されていたこと、古代史では坂口安吾を高く評価し、雑誌『日本のなかの朝鮮文化』では鄭貴文(チョングィムン)・鄭詔文(チョンジョムン)兄弟との交流、上田正昭や司馬遼太郎らがそれを支えていたことなど、家族関係のみならず、影響の深かった人間関係をあぶり出していて興味が尽きない。雑誌『季刊三千里』『季刊青丘』の刊行された背景や意義も明らかにされ、在日朝鮮人の歴史についても多くの知見を得ることができた。タイトルの「日本のなかの朝鮮」が表しているように、金達寿の生涯のみならず、日本における朝鮮問題を知るには恰好の本である。前著とともに多くの人に読んでいただきたい。(たけうち・えみこ=明治大学教授・日本近代文学) ★ひろせ・よういち=大阪府立大学大学院博士課程修了。博士(人間科学)。日本学術振興会特別研究員PD.。一九七四年生。著書に『金達寿とその時代──文学・古代史・国家』など。一九七四年生。