――アメリカにおける文学的想像力をいかに論じるか、の運動――新島進 / 慶應義塾大学教授・フランス文学週刊読書人2021年12月10日号脱領域・脱構築・脱半球 二一世紀人文学のために著 者:巽孝之(監修)出版社:小鳥遊書房ISBN13:978-4-909812-70-4 米文学者、巽孝之氏は本年三月、長きに亘り勤務した慶應義塾大学を定年退職された。今、このひとつの節目を記念する出版物の刊行が続いている。先々月には、一九八八年の単著デビュー作『サイバーパンク・アメリカ』(勁草書房)の増補新版が、そして氏監修による鈍器級の大著『脱領域・脱構築・脱半球』(小鳥遊書房)、通称『三脱本』が揃って上梓された。両書は、巽氏が在職中に残した気宇壮大な業績――単著だけで二十五冊を数える――をあたかもブックエンドのように囲っている。これに関連して先日、「サイバーパンクから脱半球まで 一九八八―二〇二一」と題されたトークイベントが週刊読書人主催でおこなわれ、不肖、筆者が氏の対談相手を務めた。そこで明かされたのは、『サイバーパンク・アメリカ』を生んだ若き日の留学体験が、三十三年間の積み重ねを経、『三脱本』に結実したという事実だった。『三脱本』は巽氏と関わりのある英米文学研究者十九名の論文をメインパートとしている。各篇は、アメリカ、身体、戦争、批評、地球的〈交響〉という五つのカテゴリーに分類され、扱われる作家はポー、ホーソーン、メルヴィルから、デフォーのような英作家、さらにマキナニーのような現代作家までと幅広い。しかし単なる論集で済まさないところが巽流だ。本書にはメタ的な戦略がこめられている。ひとつは三十名のこちらも豪華な執筆陣による「代表的思想家30選」が巻末に配されていることだ。戦前から現代まで、有名批評家の仕事が英米圏に限らずコンパクトにまとめられ、さながら筒井康隆『文学部唯野教授』、もといテリー・イーグルトン『文学とは何か』なのだが、この附録によって読者は批評史の流れを要所ごとに辿ることができる。 そして巽氏の「はじめに――人文学の未来と批評的想像力」は、本書を真に開くためのマスターキーだ。まとめるなら「三脱」とは、アメリカにおける文学的想像力をいかに論じるかを主題とした、段階的かつ現在進行形の運動である。一九七〇年代、スタイナーを代表的論者とする〈脱領域〉は、デリダ、ド・マン、カラーらによるポスト構造主義の〈脱構築〉によって乗り越えが図られ、二一世紀に入るとスピヴァクの提唱する惑星思考、〈脱半球〉がさらなる批評的想像力を発揮する。つまり本書所収の十九篇は「代表的思想家30選」を案内役に、巽氏のモットーたる批評的想像力の実践として読まれるべきなのだ。この緊張感が本書を支えている。 さらに「はじめに」では、巽氏がいかにして批評的想像力に目覚めたのかが語られる。「あとがき」で下河辺美知子氏が感嘆するように、筆者もこのパートには強く印象づけられ、長年師と仰いできた文学者の理解が一歩進んだと実感した。 そう、巽孝之とは畢竟、〈他者〉との絶えざる接続を図り、制度的言説を脱構築してきた研究者だ、その姿勢こそが批評的想像力の謂いである。氏はコーネル大学留学時にカラーやスピヴァクの教えを受け、また、サイバーパンク運動を肌で体験した。留学とはまさに〈他者〉と出会うためのシステムだ――「代表的思想家30選」において巽氏は、これを各執筆者に反復させている。氏はそこから三十余年に亘って(サイバーパンク・)アメリカという国の想像力・・・を、批評的想像力・・・をもって考察し続けた。デビュー作にその後のすべてがあるという格言はここでも正当化される。そして一見矛盾するようだが、この〈他者〉との接続こそが、学問知の独立、つまりは〈象牙の塔〉を守る最大の力なのだ。われわれはつねにそのことを肝に銘じなければならない。 まったく同じ理屈で惑星思考は、極東という出自を持ちながら欧米文学を研究する者へのエールでもある。そもそも、この批評的想像力の体現者自身が思索のオーヴァードライヴをやめてはいない。本書は第二期巽孝之に伴走しつつ、批評的想像力を駆使ドライヴし、二一世紀の人文学を脱構築していくための必携書である。(下河辺美知子・越智博美・後藤和彦・原田範行編著)(にいじま・すすむ=慶應義塾大学教授・フランス文学)★たつみ・たかゆき=慶應義塾大学名誉教授・アメリカ文学思想史。著書に『ニュー・アメリカニズム 米文学思想史の物語学』(福沢賞)『リンカーンの世紀 アメリカ大統領たちの文学思想史』『モダニズムの惑星英米文学思想史の修辞学』など。