――ダーウィンの時代から分子生物学の現在まで――粥川準二 / 県立広島大学准教授・社会学・生命倫理週刊読書人2020年6月26日号(3345号)生命の〈系統樹〉はからみあう著 者:デイヴィッド・クォメン出版社:作品社ISBN13:978-4-86182-796-9本書は、生物種どうしの進化的な距離を分子生物学的に推定する学問「分子系統学」の発展によって、無数の生物がどのような進化の過程を経てきたのかを図示する「生命の樹」=「系統樹」が、どのように描き直されてきたのかを、ダーウィンの時代から分子生物学の現在まで、丹念に追った科学史ノンフィクションである。特に、生物世界の分類を「真核生物と原核生物」という二界から、「真核生物と細菌とアーキア」という三界へと変更させた微生物学者カール・ウーズの功績に焦点が当てられている。 著者デイヴィッド・クォメンが本書で見せるのは、「生命の歴史」にかかわる「三つのサプライズ」である。 一つめのサプライズは、一九七七年に確認された新しいカテゴリーに属する生物「アーキア(Archaea)」の発見である。アーキアは「古細菌」と訳されることもあるように、一時期までは細菌の下位区分と考えられていた。しかしウーズらの分子生物学的研究によって、まったく違うものであるとわかり、生命の歴史や生命の樹=系統樹は大きく修正された。 二つめは、それまで親から子へ「垂直に」受け継がれるだけだと考えられてきた遺伝子が、種の壁を越えて「水平に」移動することが、普遍的な現象だとわかったことである。この現象は「遺伝子の水平移動」や「感染性遺伝」と呼ばれている。 三つめは、ヒトを含む動物や植物、菌類など真核生物(核を持つ細胞から成る生物)の最古の祖先が、まさにこのアーキアから枝分かれしたものかもしれない、という可能性である。 この三つのサプライズの合間に描かれるのは、ミトコンドリアや葉緑体などの細胞小器官の起源は、先祖の細胞に取り込まれた細菌であるとする「細胞内共生説」である。本書では、かつては異端であったこの学説を世に知らしめた生物学者リン・マーギュリスの業績と生涯も詳しく描かれる。その波乱に満ちた経歴は、カール・ウーズのそれと同じぐらい面白い。もっともウーズは、細胞内共生説を決して認めなかったようだが。 そして、「ウーズお気に入りのアーキアの一種」を研究していたスペインの科学者フランシスコ・モヒカは、すでに知られていた「CRISPR」という塩基配列が数々の細菌やアーキアの中にあることを発見した。さらにそれは、細菌やアーキアが過去にウイルスによる感染――遺伝子の水平伝播――を受けた痕跡であり、防護策にもなる「ある種の免疫機構」であるかもしれない、とモヒカは推測した。その仮説は二〇〇〇年代になって別の科学者らに証明され、やがてヒトを含むあらゆる生物の遺伝子を編集できる技術「ゲノム編集(遺伝子編集)」へと発展する(その経緯は、CRISPRの発明者ジェニファー・ダウドナらの著書『クリスパーCRISPR』(文藝春秋)でも詳述されている)。 一方、遺伝子の水平伝播=感染性遺伝の発見によって、ダーウィンやヘッケル、ウーズなどによって描き継がれてきた生命の樹=系統樹はもはや、枝分かれする「樹」の形をなさないものになった。それでも生命(真核生物、細菌、アーキア)の起源は気になる。ウーズはそれを、最初の細胞とみなすことのできるものが現れるよりもずっと前に存在していた、分子の集合体であると推測した。彼はそれらを「RNAワールド」と呼んだ。 そしてこれらの諸発見は統合されて、ヒトを含む生物は、決して単一の存在ではなく、多くの起源を持つものたちからできた集合体である、という生命観が提示される。 著者が作家ということで、すらすらと読めるものを期待していたら、難解な分子生物学の記述も多く、読み通すのに時間がかかってしまった。しかしながら、得られるものはきわめて多い。著者には、まさにいま世界的な課題である人畜共通感染症を取材した著作もあるという。邦訳が待たれる。(的場知之訳)(かゆかわ・じゅんじ=県立広島大学准教授・社会学・生命倫理) ★デイヴィッド・クォメン=作家・ジャーナリスト。小説のほか、科学に関する多数の著作があり、『ナショナルジオグラフィック』など各メディアに寄稿。邦訳されている著書に『ドードーの歌』『野生の心、野生への旅』『エボラの正体』など。