――間テクスト性に満ちたプーの物語――小澤英実 / 東京学芸大学准教授・米文学・米文化・日米演劇週刊読書人2020年6月12日号(3343号)「クマのプーさん」の世界著 者:小野俊太郎出版社:小鳥遊書房ISBN13:978-4-909812-32-2イギリスの劇作家・詩人のA・A・ミルンの手で一九二六年に生まれて以来、ウィニー・ザ・プーは〈世界でもっとも愛されるクマ〉になった。ディズニー版のドジで食いしん坊の癒やしキャラのイメージが強く、グッズの売り上げはミッキーを凌ぐとも言われるが、原作のプーはそれとはまったくの別クマだ。本書は『クマのプーさん』『プー横町の家』の二冊を石井桃子訳ほか数種の翻訳とも比較しながら原文を一章ずつ精読することで、本来の奥深く豊かなプーの森の姿を解きほぐし、その多様性を取り戻していく。 そこから甦るのは、ディズニーでは完全に捨象され、翻訳で読んでも理解しづらい〈散歩するアルカディアの詩人〉としてのプーの姿だ。卓越した言語感覚による石井訳の詩も美しい輝きを放つが、ルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』やケネス・グレアムの『たのしい川べ』といった先達の作品を充分に咀嚼し、シェイクスピアや古典詩やワーズワースからの着想に溢れたその詩の技巧や真価は、本書にあるような注釈や逐語訳抜きにはわからない。それによってはじめてプーが詩人としての成長を遂げていく過程が作品の大きな柱にあること、そしてそのプーに詩人であるミルン自身の姿が重ね合わされていることが理解できるのである。 また本書には歴史やジェンダーや人種の視点からの物語分析も盛り込まれ、文学理論による読解の実践書としても大いに参考になる。もっともスリリングかつ説得的な論証のひとつは、童心に帰ることのできる牧歌的なユートピアとしてのプーの森が、第一次大戦後の傷病兵士たちを癒やすと同時に閉じ込める、夢魔的空間でもあるという点だ。それを知れば、ディズニー映画で夜の来客にライフルを構えるプーの姿が、まったく違ったものに見えてくる。評者自身は、サリンジャーの短篇「バナナフィッシュにうってつけの日」が、蜂蜜を食べ過ぎて家から出られなくなったプーに着想を得ていることをはっきりと確信したが、本書が伝えるように、リメイクやアダプテーションをはじめ、ジブリ作品から『ダイ・ハード』など意外な作品にまで影響を与え現代文化にも浸透している間テクスト性に満ちたプーの物語は、文学的価値のみならず文化研究にとっても稀有な魅力をもつ素材なのである。 本書を読み終えると、橋の上でクリストファー・ロビンとプーとピグレットが川面を見つめる後ろ姿を描いたE・H・シェパードの有名な挿絵が、新たな意味を帯びて浮かびあがってくる。彼らが佇んでいるのは、イギリスとアメリカ、旧住民と新移民、大人と子ども、そうした様々なふたつの世界に架かる橋の上なのだ。母親が息子のクリストファー・ロビンにプレゼントした量産品のぬいぐるみのクマが、子どものためのお話のキャラクターとなり、ふたたび多様な物語や商品となってエコノミーのなかに拡散し還流してゆく。その来たるべき世界の流れを、彼らはいつまでも変わらない百エーカーの森から見つめているかのようだ。(おざわ・えいみ=東京学芸大学准教授・米文学・米文化・日米演劇) ★おの・しゅんたろう=文芸・文化評論家。成蹊大学他で教鞭を執る。著書に『スター・ウォーズの精神史』『ゴジラの精神史』『〈男らしさ〉の神話』『社会が惚れた男たち』『日経小説で読む戦後日本』『新ゴジラ論』『フランケンシュタインの精神史』など。一九五九年生。