――プラグマティズムを論じる上で避けては通れない著書――大賀祐樹 / 早稲田大学非常勤講師、思想史週刊読書人2021年1月15日号プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか 上著 者:ロバート・ブランダム出版社:勁草書房ISBN13:978-4-326-19980-8 プラグマティズムを一つの街だとしてみよう。この街には、整然と区画整理された街区もあれば、雑然としながらも趣のある歴史的な古い街並みも残されている。住民の顔ぶれは様々で、全く別々の主張をしているように感じられることさえある。だから、人によってこの街を形容する語り口は多種多様だ。一度ならず、何度も訪れるたびに、毎回必ず違う顔を見せてくれるのも、この街の魅力だろう。そんな奥深い街だからこそ、案内をするガイドごとに、街の新たな相貌に気づかされることになる。 初めて訪れる際には、代表的な見どころを一通り巡る基本的な入門書をガイドにするとして、二回目以降の訪問では、担当するガイドのおすすめスポットを巡る、こだわりのツアーへと連れていってもらうと良いだろう。例えば、最近翻訳が刊行された、ミサックやククリックの著書は、それぞれ独自の観点から、プラグマティズムの新たな表情、これまで見過ごされてきた景色に気づかせてくれる好著だ。そして、本書はこれらの書物よりもさらにディープに街の魅力を知るためのガイドとなる。ブランダムという、街でも屈指の個性的な住人が、行きつけの常連客しか知らないような隠れた名店を案内し、おすすめの品を紹介するだけでなく、自らの腕を奮って極上の逸品を味わわせてくれるような、プラグマティズムに関心があり、一通りの見どころには飽きてしまった者にとっては、新鮮な驚きに満ちた読書体験を得られることだろう。 ブランダムは、現代のプラグマティズム、分析哲学の大立者である。だが、ブランダムの思想、理論は、これまでの分析哲学の議論の流れを踏まえなければ、理解が難しい。さながら、登山ルートの入口に辿り着くことさえ困難な、人里から隔絶された大自然の奥深くにそびえ立つ深山の高峰である。 本書では、プラグマティズムを題材としながらも、ブランダム自身がパース、ジェイムズ、デューイといった古典的プラグマティズムから、セラーズなど分析哲学のプラグマティズム、ローティ、プライスといったネオ・プラグマティズム、さらにはカント、ヘーゲルとの結びつきについて、どのようにとらえ、解釈しているかについて、そして今後どのようなプラグマティズムを志向するのかについて、詳細に語られている。そのため、ブランダムの思想がいかに形成され、どこに向かっていくのか、すなわち「ブランダムはどこから来て、どこへ行くのか」について、はっきりと見通すことができ、ブランダム理解の入口に辿り着くための格好のガイドともなっている。 ブランダムの基本的な方針は、本書で「陰伏的」と訳されているインプリシットなものをエクスプリシットにすること、すなわち「明示化」することである。プラグマティズムが「上手くいく」ものを真理として採用するとしても、何をもって「上手くいく」と言えるのか。プラグマティズムがご都合主義的な思想として誤解されることがあるのは、その基準の曖昧さに原因がある。ブランダムは、われわれの言説的実践において陰伏的に前提とされている規範を明示化しようとする。それによって、これまで多かれ少なかれ陰伏的な基準で運用されてきたプラグマティズムを、整然と明示化された哲学の理論へと進化させられるのだ。理由と推論、規範を通して合理的に理論化していくブランダムの方針は、哲学的理論化としては正しい。一方、これまでプラグマティズムに魅力を感じてきた者は、その非合理的で、不条理なもの、曖昧なものをも包摂する側面に惹かれてきたのではないだろうか。陰伏的なものをどこまで明示化できるのか、明示化して良いものなのかという点について、従来のプラグマティズムに親しんできた者ほど考えさせられるだろう。いずれにせよ、本書は今後、プラグマティズムを論じる上で避けては通れない存在となるのは間違いない。(加藤隆文・田中凌・朱喜哲・三木那由他訳)(おおが・ゆうき=早稲田大学非常勤講師=思想史/Twitter@orga_yk)★ロバート・ブランダム=ピッツバーグ大学哲学特別教授。プリンストン大学で哲学の博士号取得。ピッツバーグ学派として知られる分析哲学の一潮流を主導する第一人者。著書に『信頼の精神』『明示化』など。一九五〇年生。