受容史の空白に見出された研究の意義 鈴木道代 / 創価大学助教・日本文学週刊読書人2022年1月28日号 戦争下の文学者たち 『萬葉集』と生きた歌人・詩人・小説家著 者:小松靖彦出版社:花鳥社ISBN13:978-4-909832-46-7 あとがきによると本書は、〈萬葉学史の研究〉(『萬葉学史の研究』おうふう、二〇〇七年、上代文学賞、全国大学国語国文学賞受賞)に取り組む中で、戦時下の『萬葉集』の受容を歴史的に明らかにすることの必要性に端を発し、二〇一六年に「戦争と萬葉集研究会」を立ち上げ、二〇一八年に研究史「戦争と萬葉集」を創刊(現在、三号を発刊)するなどの精力的な活動を通して刊行された、意欲的な著書である。『萬葉集』は、明治期以降の近代国家形成の外交的転換期において、フィーチャーされる傾向にある。著者は「なぜ『萬葉集』か」という自らの問いに対して、ロバート・N・ベラーの言、〈近代化〉は「外部から強要された」ものであるため、〈近代化〉の波を受けて「ゲマインシャフト」(地縁・血縁・精神的結びつきによって自然発生的に形成された集団。村落共同体・家族など)に復帰しようとする「非合理的切望」が起こる、という論理に立脚し、その「非合理的切望」の重要な受け皿となったのが『萬葉集』であったという。政府は、「忠君愛国」の精神を高揚させるため、古代貴族社会の中で描き出された、「醜の御楯」に代表される王と民(近代においては天皇と国民)の紐帯を体現する装置として『萬葉集』を用い、国民もまた、戦争と進みゆく不安の時代の中で、『萬葉集』に拠り所を求めたのだと指摘する。 本書の特筆すべき点は、日中戦争・太平洋戦争下における『萬葉集』の受容の歴史を、通時的な歴史観ではなく、特定の六名の文学者に焦点を当てて描き出している点にある。与謝野晶子、齋藤瀏、半田良平、今井邦子、北園克衛、高木卓の六名の文学者が、「忠君愛国」「日本古代の伝統」を示すものと位置づけられた戦時下の『萬葉集』をいかに捉え、心の支えとしたかについて、彼らが「戦争遂行に加担する愛国者」へ移行してゆく分岐点をあぶり出し、「なぜ彼らはこのような道を歩んだのか――」という点を考察するのが、著者の論点である。 本論は、日露戦争に出兵する弟を案じた詩「君死にたまふことなかれ」を作った与謝野晶子から始まる。晶子は反戦主義のように見えるが、〈厭戦〉の文学者であると著者はいう。晶子は『萬葉集』に「生活理想の世界性」を求めた。世界性=異国(具体的には中国)の文化を理想とし、「日支親善」に賛同していたが、上海事変を転換期とし、中国社会、また中国への侵略を進める政府や軍の思惑を見誤り、「愛国短歌」への道を歩んだのだと述べる。齋藤瀏に関しては、一九三〇年代は近代歌人の視点から『萬葉集』に関する著作を発表したが、二・二六事件の生き残りとして、青年将校の意志を受け継ぎ、「愛国短歌」へ作風を変えてゆく。敗戦後は「責」を負い、文壇に返り咲くことはなく、落魄の道を選んだのだという。半田良平は、『萬葉集』が「貴族上流社会の産物」であることをいち早く見抜いていた。しかし知識人である良平も、「草莽の臣」として、〈愛国心〉を客観的に捉えることができなかった。今井邦子は「殺し合い」としての戦争の本質を見抜いたが、「小さきこと」「かすかなもの」へ目を向けた結果、「愛国短歌」を作るようになった。北園克衛は、自己防衛のために『萬葉集』を利用しようとする意図が見えつつも、「郷土」政策の渦の中で、「伝統的な詩」として短詩を発表する。高木卓は、〈歴史小説〉が現代の社会を映し出す鏡であるという立場から、社会への批判とも読み取れる、日本の伝統を抱えながら没落してゆく大伴家持を主人公とした「歌と門の盾」を発表する。その一方で、天皇への忠義心を児童向けの史話・物語で記したのだという。 著者は最後に、六人の文学者は、「知識人として厳しい姿勢をとることよりも、文学による〈報国〉という誘惑に勝てなかった」と結んでいる。『萬葉集』受容史の研究においては、ナショナリズムという別の論理が働いているという点から、日中戦争・太平洋戦争下の論考を、研究の壇上から遠ざける傾向にあり、まさに受容史の暗黒時代ともいえる。本書はこのような受容史の空白に研究の意義を見いだしたといえるだろう。ともあれ〈文学〉が、人の心に根ざしているという点において、時代のイデオロギーの潮流の中で否応なく揺れ動くものであることに読者は気づかされるのである。(すずき・みちよ=創価大学助教・日本文学)★こまつ・やすひこ=青山学院大学教授・日本文学。著書に『萬葉学史の研究』『万葉集 隠された歴史のメッセージ』『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』など。一九六一年生。