――畢生の仕事の後に遺された未発表の翻訳原稿――藤林道夫 / フランス文学週刊読書人2021年5月14日号糸繰り女著 者:オノレ・ド・バルザック出版社:鳥影社ISBN13:978-4-86265-872-2「人間喜劇」で知られるフランスの文豪オノレ・ド・バルザックの残した珍しいお伽話である。「シャルル・ペロー風のコント」と銘打たれている。舞台はマタカン王国。といえば気づかれる向きもあるだろう。「眠れる森の美女」の中で王女さまが紡錘(つむ)を手に刺してしまったとき、彼女の一〇〇年の眠りを予言していた妖精のいる一万二千里離れた土地である。一足七里の長靴をもっている小人のおかげですぐにそれを知った妖精は、竜に引かせた燃えさかる火の車に乗って宮殿に到着すると、魔法の杖で彼女と一緒にみんなも眠らせてしまうのだ。 さてタイトルからして「糸繰り女」。鬼のような母親も登場するし、一〇〇年間という約束もある。もちろん王女さまの結婚話も欠いていない。たしかにペローの世界である。しかし商取引の視点などは明らかに一九世紀的で、まぎれもなくバルザック。彼の諸作品やその時代を彷彿させる描写も散見される。 バルザックには「人間喜劇」以外にも多くの作品がある。その中で最も有名なのは三〇のコントからなる「コント・ドロラティック」であろう。本書の訳者石井晴一氏は岩波版『艶笑滑稽譚』(コント・ドロラティック)の訳業で知られる。これらのコントの特徴は一六世紀風の擬古文で書かれていることである。この擬古文をいかに訳すか、すでに名訳の誉れ高い小西茂也訳と神西清訳があるのだが、石井氏は、流麗ではあっても古めかしすぎるとしてこれらの文体に異を唱える。 フランスでは、一七世紀にアカデミー・フランセーズが創設され、国家規模で文法の整備と辞書の編纂が進められた。つまり一七世紀以降フランス語はそれほど変化していないのだ。となれば単純に三〇〇年遡った日本語にするのは時代錯誤といえるだろう。石井氏によれば、一六世紀は近代フランス語が確立しようとしていた時代であり、それを日本に重ね合わせるとすれば明治期の言語となる。結局彼は、漢字を多用し、ルビを施すことでその雰囲気を表現しようとしたのである。 この『糸繰り女』はもともと「コント・ドロラティック」中の一篇として計画され、ほぼ完成していながら収録されなかった作品である。ただ一七世紀宮廷の花形文化人でアカデミー会員だったペローの「昔話」に倣っているのだから一六世紀風擬古文で綴られているわけではない。しかし石井氏はあくまで「コント・ドロラティック」の流れを意識したのであろう。耳にやさしい「児童文学」ではなく格調高い「お伽話」として仕上げている。その出来栄えは如何? 本書をきっかけに「人間喜劇」とは別のバルザック作品に興味をもたれた方には、是非彼の労作である『艶笑滑稽譚』(文庫で三冊)を手に取っていただきたい。新たなバルザックの世界が拡がるはずである。 文庫本最終巻のあとがきを編集者に渡した一週間後のことだったという。八年前、畢生の仕事を為し終え、息を引き取られた石井氏の仕事場には、未発表の翻訳原稿が残されていた。『糸繰り女』はよくよく表に出るのを嫌がる控え目な女なのだろうか。今回その草稿が幾人かの手を経て完成され、さらに日本画家である夫人の挿絵を加え、晴れて姿を見せたことに慶びを禁じえない。(石井晴一訳/石井滋子挿絵)(ふじばやし・みちお=フランス文学)★オノレ・ド・バルザック(一七九九―一八五〇)=フランス文学を代表する作家の一人。ロマン主義・写実主義の系譜に属する。代表作は『谷間の百合』。豪放な私生活も伝説的に語り継がれている。