――歴史と、生きて使われる日常をつなぐ――岡田憲久 / 作庭家・名古屋造形大学特任教授週刊読書人2020年10月9日号京都発・庭の歴史著 者:今江秀史出版社:世界思想社ISBN13:978-4-7907-1743-0 タイトルの「京都発」は、著者が京都市の、庭の文化財保護担当者として長く庭園の保存や修復の現場に携わって来た人物であるところからくる。 一般的に我々は名園を訪れると、時代背景や作庭者、様式などの解説を通して鑑賞するがそれは、その庭を歴史的遺構の「物」として捉えただけであると著者は指摘する。実際の現場に立つ著者にすれば、庭園研究の専門家の指導による物の保存修復という視点だけでは対応しきれない、それぞれの庭の現場の現実がある。「庭はその本性として、絵画や建築の作品などと違って絶えず生起し続け、また実用のための役割を持ち、生活の状況に応じてその機能(意味)を変えます」と著者は述べる。歴史的遺構でありながらも、現在も生きて使われる庭がそこにある。庭を新しい視点で捉え直そうという書である。 著者は、まず実用としての役割の視点を重視しながら、確実に資料の残る平安時代の庭から歴史を紐解いていく。そこで示される「庭の四つの基本区分」は建築周りの多様な空間を、その後の庭を見る視点として示すものである。「庭園」という呼び名は明治以降のものであり著者からすれば四区分の一つを指しているにすぎない。 平安時代の貴族の住宅は寝殿造住宅と呼ばれ、主建築の寝殿と、付属の小建築が渡り廊下によってつながる組み合わせで構成されていた。建築が屋外に多く接する多様な空間が生まれた。そしてそれらの空間で「儀式や年中行事を伴うハレとケの二面性を受け止める必要」があった。 ではどのような空間があったのか。まず主建築の前には四区分の一つ「大庭(おおば)」と呼ばれる白砂敷きの何もない場が作られ、天皇即位の儀などが行われた。同じ場所で鳥を闘わせる競技「鶏合(とりあわせ)」が行われもした。 また「坪」、「屋戸(やど)」と呼ばれる空間は双方とも、日常生活に季節感を与える植栽がなされていただけではなく、行事や儀式、歌合せなどの遊び、蹴鞠など動的な使われ方をされた。そして最後に「島」。園池に島がありその周囲に築山を配した全体空間を「島」と呼び、まさに我々が庭と呼ぶものである。舟遊びや散歩で利用され、大庭で演舞などが行われるときの補助的な役割も果たした。 その後、公家の住宅形式から武家の書院住宅に移行していく中で、「島」に大きく重点が置かれるようになる。権力誇示の場となり、造形性が競われ、茶会と宴会の場ともなる。 江戸期には桂離宮に代表されるような広大な敷地の島が、いくつもの建築やその周りの多様な大庭などを宅地ごと取り込む形となり、全体を回遊できるようになる。それが「林泉」と呼ばれる。そこには中国や日本の数多くの「名所」が表現され、一定の教養と文芸の素養に応じ楽しみが増幅される仕掛けが作られた。庭が建築周りのすべての空間を飲み込む主空間であるという視点は庭作りをする人間にとっては大変魅力的である。 また、著者が調査にかかわった今に残る京都の民家、町屋の庭の調査から、再び四区分の「大庭」「坪」「屋戸」「島」につながる多様な使われ方の空間が今も生き続けている姿を見る。 空間の多様性を超えて最終章の前では、絶えず生起し続け、過去から現代にまでつながっている庭の特殊性を、職人との対話から浮かび上がらせようとしているのは大変興味深い。庭園の保全・修復の現場の日常を重要視する著者ならではのアプローチである。 最後の章で「庭とは」という疑問を解くため、職務の傍ら哲学を学んだ著者が、歴史的遺構としての庭と、著者にとっての日常の現実としての庭をつなぐ答えを、フランスの現象学者メルロ=ポンティの次の論をもとに読み解こうとしている。「私たちの日常生活の世界は物質・生命・精神の秩序が絡み合い、それらが織りなす調和・連動性が結果的に人類に通じる規則性を生み出している」。 著者による庭の「日常の声に耳を傾けた」読み解きは「平安時代から現代にまで続く年中行事」を参考にすればよいとし、「私たちにとって庭は、季節や気候の変化、時間の移り変わりを見届けるのにふさわしいものとして持続し、継承されて来たのです」と述べている。そこに見出だすことのできる一つの「理(ことわり)」があると。 この最後の章のもう少し詳しい論考をと思う傍ら、この書が、今日的環境の問題をも含めた、人間と自然との関係の文化としての「庭」の立ち位置を探すための視点を提示してくれる書であり、新たな庭が生まれるための視点の獲得でもあると思う。(おかだ・のりひさ=作庭家・名古屋造形大学特任教授)★いまえ・ひでふみ=京都市役所勤務。大阪大学人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。庭の歴史と現象学を研究。一九七五年生。