――小林批評の相対化の試み――中島一夫 / 批評家週刊読書人2021年4月23日号小林秀雄 思想史のなかの批評著 者:綾目広治出版社:アーツアンドクラフツISBN13:978-4-908028-57-1 今なお陸続と出る小林秀雄論の多くが、小林の絶対化と礼讃にある。その中にあって、本書は、小林批評の相対化を試みようとする一冊である。小林の読者や論者は、その断定的な言葉と論理的に曖昧な文章に幻惑され、主観的なイメージを各々作り上げてしまうと著者は言う。「読者は小林秀雄を読んでいるというよりも、自分の中にあるイメージを読んでいる」と。本書は、批評家以前の時代から始まって(一、二章)、「様々なる意匠」(三章)、ドストエフスキー論(六章)、歴史論(七章)などを経て、未完の『感想』(十一章)や晩年の『本居宣長』(十二章)に至るまで主要作品をほぼ網羅し、小林の言葉をできるだけ正確に読んでいこうとする。断固「イメージ」を退けようとする研究者の気概を感じる一冊だ。 おそらく、それは小林との出会いからくるものだろう。高校生のとき、模試に小林が出題され、現代国語に自信のあった著者は、だが惨憺たる結果に終わってしまう。「当時、唯物史観を単純に信奉していた私は、歴史についての小林秀雄の論を、無理やりに唯物史観的に解釈した答案を書いた」のが理由だった(「あとがき」)。この出会い、いや出会い損ねが、いかにイメージに翻弄されずに小林を相対化するか、という著者のスタンスにつながったのではないか。 なかでも「様々なる意匠」の時点で、実は小林はマルクスを読んでいなかったのではないかという主張は、その「相対化」の最たるものだろう(三章)。「意匠」におけるマルクスの引用が、三木清『唯物史観と現代の意義』の孫引きであることを実証的に暴露したのだ。すでに八三年の指摘だったことに驚くが、小林はマルクス主義者よりもマルクス的であったという通説を根底から覆す神話破壊である。続く四章でも、「マルクスの悟達」におけるマルクス唯物論の捉え方や、「私小説論」の講座派マルクス主義の摂取の仕方などが疑問に付され、ついに著者は「小林秀雄は生涯においてマルクスから学ぶところはほとんど無かった」と結論する。結局小林は、一貫して「ノンポリティカル=非政治的」であり、「政治的な事柄についてほとんど何も解っていないのではなかろうか」と。ほぼ同意だ。が一方で、小林の場合、むしろノンポリだったからこそかえってポリティカルに機能したのではないか。 一例を挙げよう。かつて平野謙は、「私小説論」をはじめマルクス主義に歩み寄りを見せていた時期の小林に文学的人民戦線の可能性を見た。この「平野史観」は、当時から賛否両論を呼んできたが、著者は、非政治的な「小林秀雄にはそのような発想は皆無だった」、それをあえて政治的に捉えた平野の「見果てぬ夢」にすぎないと否定的だ。だが、小林が批評の始祖になり得たのは、平野の「見果てぬ夢=人民戦線論」に負うところが大きかったように思える。小林の言葉でパラフレーズすれば、マルクス主義という「絶対的」「普遍的」な「思想」から疎外され、「故郷を失った」自由浮動的な「宿命=単独性」、すなわち広く「転向」者たちの群れが、二重化する「自意識」に苛まれながらも「主体」的に戦線を模索していくほかない――。これがプロレタリア文学の壊滅した「昭和十年前後」(平野)以降を規定する条件であり、ここではたとえノンポリであろうと「転向」者を免れない。その意味で、いまだに我々は人民戦線の「夢」の中にあり、したがってそれを体現する小林は何度でも呼び出される。だからこそ、本書のような小林の相対化が必要なのだ。(なかじま・かずお=批評家)★あやめ・こうじ=ノートルダム清心女子大学教授・「千年紀文学」の会会員。京都大学卒。著書に『惨劇のファンタジー 西川徹郎 十七文字の世界藝術』『述志と叛意』など。一九五三年生。