現在に切り込むための、止揚する対話 志賀信夫 / 批評家週刊読書人2022年1月7日号 戦略としての人智学著 者:高橋巖・笠井叡(対話)出版社:現代思潮新社ISBN13:978-4-329-10012-2 高橋巖はルドルフ・シュタイナーと人智学の紹介者として知られる。笠井叡は舞踏家で、シュタイナーの創始したオイリュトミーの実践者でもある。オイリュトミーは、舞踊教育のリトミックに似て、音楽や言葉と動きを一体化する身体表現だ。笠井のメソッドにはオイリュトミーが生かされている。 高橋は、笠井の舞踏はすごいと本音で何度も述べる。最近、笠井の息子、笠井瑞丈と上村なおかによる魅力的な舞台を見た。コンテンポラリーダンスだが、そこにもオイリュトミーの動きが現れた。笠井は、言葉がオイリュトミーを通して力の流れに変わると言う。 本書には聞き慣れない言葉が登場する。ヨアキム主義、個体主義、エーテル体、フェシス、民族身体、七輪論、麻柱。二人はキリスト教、異端グノーシス教、神道などを背景に、哲学思想や身体論を含めて、意識と身体、言葉と日本語、伝統、天皇、国家を論じる。 では人智学とは何か。それは霊的体験、精神世界を物質文明の進んだ現在に生かす思想といえるだろう。神秘主義や種々の神の問題と近代哲学をふまえて、現在をどう生きるか、社会はどうあるべきかを考察する。それが「戦略としての人智学」である。 とりわけ興味深いのは、天皇、日本、国体などに力を入れて論じていることだ。天皇制は、明治時代に神道と結びついて全体主義国家、植民地主義の中心に据えられた。その反省から、戦後民主主義では天皇を論じることが避けられてきた。だが人間天皇となっても、保守勢力の一部が再び利用しようとする動きがある。 そのなかで、笠井叡は日本と天皇にこだわる。七〇年代から天照大神など日本神話を題材として踊り、近年の『日本国憲法を踊る』は、どう天皇、国家、憲法と向き合うかという表明だった。そして高橋巖も天皇の存続を求める。笠井は神話を背景にした天皇の神性を重視するが、高橋は人間天皇が、現代日本でどういう役割を果たすかにこだわる。 ここには、一九二八年生まれの高橋、一九四三年生まれの笠井という二つの世代の心象がある。ともに神国・日本という戦前思想の影響を受けながら、戦後民主主義と学生運動の時代を生きた世代だ。高橋は昭和三年、澁澤龍彥、土方巽と同じ辰年生まれ、戦中派で三つ上の三島由紀夫と近い。高橋の十五歳下だが、三島と交流があり強い共感を抱く笠井。二人は、三島の思想を含めた社会への問題意識を共有する。 それは戦後の個人主義と功利主義、新自由主義と合理主義、科学主義への疑問でもある。例えば個人主義ではなく個体主義という言葉を使う。全体主義に相対する定義だが、個人主義と民主主義の関係という問題への一つの答えだろう。 この対話には時に驚かされ、時に惹きつけられる。溢れる知識とともに常識を覆す発言が多発し、それが一つの哲学思想ともとらえられる。だが二人はあくまで現在に切り込むために対話する。それゆえ佐藤優、雨宮処凛など現代の発信者たちにも言及する。 本書の対話は二〇〇九年から二〇一〇年、民主党政権時代に行われた。そのため、当時の「友愛」という言葉にも敏感に反応し、帰着するエネルギーは「愛」で二人は一致する。 笠井の自由さとともに、二人の発想と発言は熱を帯び、絶えず止揚しながら自在に展開する。それは、人智学が根底に神、霊、神秘を置くことで一般論理を超越するからだ。これは、神の奇跡を説明する論理に似ている。そのため読者は奇妙な感触を抱きつつ、対話に引き込まれる。それは、格差が拡大して新自由主義の金の論理がはびこる現代で、閉塞感を強める私たちに、自分の道をどう模索するかを真摯に示そうとするからだ。 天皇制を神話として否定するのはたやすい。だが、なおも天皇が存続すること、日本とは何かなど、国際主義やグローバリズムで回避してきた問題を改めて問われるときに、私たちの思想をどう形成し、どう社会と向き合うかを考えるために、とても刺激的な著作だということができるだろう。(しが・のぶお=批評家)★たかはし・いわお=一九七三年まで慶應義塾大学で美学と西洋美術史を担当。その後シュタイナーとその思想である人智学の研究、翻訳を行う。一九二八年生。★かさい・あきら=一九六〇年代に大野一雄、土方巽に出会い、舞踏家として活動を始める。天使館を設立、多くの舞踏家を育成。一九四三年生。