――麻薬取引の行方を執拗に追究した意欲作――芝健介 / 東京女子大学名誉教授・ドイツ近現代史週刊読書人2020年6月26日号(3345号)麻薬の世紀 ドイツと東アジア 一八九八-一九五〇著 者:熊野直樹出版社:東京大学出版会ISBN13:978-4-13-026164-7本書の主目的は、第二次世界大戦期の独「満」アヘン貿易の実態解明である。この意欲作では、一九世紀末から第二次世界大戦後までの二〇世紀前半・半世紀間のドイツと東アジア(特に膠州湾租借地、関東州、「満州国」、日本)との関係が、戦時期の独亜通商関係に視点を据え新たに捉えなおされている。日本では、独満関係やナチ体制期の独中日関係についての田嶋信雄、日「満」独の三角貿易構想に関する工藤章の貴重な先駆的研究があるが、本国ドイツの現代史研究では、食糧危機からナチ体制を守るのにヒトラーはじめ指導者たちがいかに腐心したか、東南欧からの戦略物資としての大豆調達とアウタルキー(自給はかる広域圏経済)展開如何等の検討はなされても、独ソ戦勃発以降、独「満」通商関係がそもそもどのような状態にあったのかという問題にはきわめて薄い関心しか払ってこなかった。元々ヴァイマル期からナチ期にかけての通商政策を研究していた著者は、ドイツの農業界と工業界との対立イシューであったバター、その市場競争相手のマーガリン、前者の後者への強制混合の問題に着目(本書第二章でも祖述)、後者の原料たる満州大豆(独国内飼料穀物の競合相手でもあった)供給側戦時史料追跡調査中に独「満」アヘン貿易を示す文書に遭遇したという。 第一次世界大戦敗戦後ヴェルサイユ講和にもとづきドイツにはハーグ国際アヘン条約批准義務が生じた(中国へのアヘンはじめ麻薬密輸禁止)が、条約は独国内での使用を禁じたり製造取引を直接制限し取り締まるものではなく、一九二九年医療学術目的以外の製造を禁じた独アヘン法も、国内市場需要をはるかに超える麻薬製造を独製薬企業に断念させるものとはならなかった。戦間期の独「満」薬事物資取引が日本側の入超に終始した状況をおさえた上で著者は、特に独ソ戦勃発以降の独側の需要消費増大事情に以下の看過できない要素をあげている。バーター貿易(物々直接交換)清算用あるいは外貨獲得のための戦略商品性の高まり、モルヒネを覚醒剤のペルヴィティンと混ぜて独軍兵士たちへ、その戦闘能力持続維持の目的で大量投与する必要性、また精神障害者たちに対するT4作戦(『安楽死』殺人)手段としての有用性等。 大戦中の独・東亜貿易は、従来途絶したと考えられてきたが、実はそうではなく独当事者ヴォールタート使節団から日→独物資輸送は成功(連合国側からは際立って成功)と評価されていた。このあたりは日本現代史研究の独自開拓成果といえる東京裁判の国際検察局・尋問調書史料(粟屋憲太郎・吉田裕編)が縦横に活用されている。ナチ・ドイツがその大半を「満州国」から輸入していたアヘン同様、国際禁制品であったコカを直接日本から輸入していたという本書補論における指摘も、瞠目させられる点の一つである。日本側のコカ葉(コカイン原料)提供で、コカ樹栽培が硫黄島・沖縄・台湾で産業化されていた事実は衝撃的である。外交通商という「ノーマル」ルートの前面には決してあらわれてこない影の戦略物資としての独「満」日麻薬取引の行方を執拗に追究した本書は、アジアにおけるいずれもドラッグマフィア的存在たる西欧列強による帝国主義競争への一歩遅れの参加以来、薬事開発では超先進国ともいえたドイツのナチ期「薬物独裁」的断面や戦後の連合国・旧植民地側の賠償請求の一部代替となった問題まで抉り出し、総力戦体制における麻薬生産製造・取引・消費過程の全体構造を浮かび上がらせて見事である。(しば・けんすけ=東京女子大学名誉教授・ドイツ近現代史) ★くまの・なおき=九州大学大学院教授・政治史。九州大学大学院博士後期課程修了。著書に『ナチス一党支配体制成立史序説』『政治史への問い/政治史からの問い』(共著)など。一九六五年生。